私の神様。


  (気の置けない仲)というのを、長いこと逆の意味で理解していた。

 
  (気が置ける友達)は、気を遣う友達。
  (気が置けない友達)は、遠慮のない親しい友達の「意味」です。


  遠慮しないから何を仕掛けてくるかわからない→から(気が置けない)のかしら?
  それだから→型通りにしておけばソツナクて済む→から(気が置ける)親しくない友達なのかしら?
  語源とか成り立ちとかはググりませんよ^_^

  ☆

  一般的な意味とは別に。

  私は友人というものは他人以上に他人な気がする。
  親しくても、学生時代の時のようなものではないし、学生時代からの友人でも学生時代のようではない。

  学生時代、私たちは時間を持て余し、暇を贅沢に弄んでいた。
  追われているのはレポートやバイトで。
  仕事や家族や責任からは、自由であった。
  いかに楽しい事を見つけ、いかに学びたい事を見つけ。色々な所に行って色々な人に会うのが、経験となった。

  私は上手くコントロールできない人間で、
  多くを求めてみたり
  甘えればいいのに突っぱねてみたり
  当たり前のように手にしているものを羨んだり嫉妬したり
  変に遠慮したりした。
  自分を特別だと思い、友人もまた特別だと思っていた。
  自分と友人は同じだ(同じような事を考えている)と思ってみたり、また決定的に何かが違うとも思っていた。

  同じだね
  同じだね、と話をするのは、
  好きなものを確認する行為で。

  あれ?違うんだね
  え?違うんだね、と話をするのは、
  異文化コミュニケーションなのだ。
  努力すれば理解はできるけど、知識となるばかり。

  島国根性の村全体が家族なのだー、という同調にはついていけないひねくれ者。

  個性の主張にも疲れてのんびり構える。

  学生を卒業し、仕事や家族や責任が身近になるとますます、
  自分が本当に好きなものについて、語るのが億劫になっていた。
  自分が本当に思っていること、自分が心底嫌悪するもの、悩んでいること、将来やりたいこと。
  語りたいとも思わなくなっている。

  ある友人は、(私ホントはズルイの)と言った。真意はわからない。色々と聞いたけど(ズルイ)の意味がわからなくなってきた。
  でも、その人は私に告白したかったんだろうなと思った。私に告白することで少し荷物を軽くしたのだ。

  ある友人は、(私は子供が欲しかっただけなの、旦那はあの人でなくても良かったの)と言った。どこまで真意なのかはわからない。何かもっと言いたい事があるのではないか?と思った。側で待っていたけど、その先の話はなかった。それはそれで良いと思った。

  私もそう。
  タイミングの問題で。
  聞いてくれそうな友人の前で、ボロっと何かが零れる。
  言った後で(ああ私、言ってしまいたかったんだな)としみじみとわかる。時間をかけて。
  その時の友人ときたら、天使のようで賢人のようで、ただただ神々しかった。

  許してくれる存在だった。

  私は許されたかったんだと思った。

  同じ細胞と違う細胞を持った、他人以上の他人、それが友人。

  …だって、許してくれないこともあるから^_^

  許してくれない時も、多分、最終的に許してくれている、と思う。…
  (今日この人に告白してしまおう)と思いつめたりはしない。
  (なんとなく)(勢いで)(ボロボロっと)告白してしまっていることが多い。
  神秘体験ですな…。自分の知らない自分にも出会えます

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  友人には気を遣うものだ。

  気を置けない友達なんて、気を置ける友達なんて、いるのだろうか?

  私の神様は私の友人。
  天使は実在すると思っている。

  友人は他人以上の他人です^_^
  自分だって知らない事が多いにある。
  
  (そして告白をきいてくれるけど、預言はしてくれない^_^


祭りのあと。

  山口情報芸術センターにて。
  7月下旬。ヤン・シュヴァンクマイエル映画祭が行われた^_^
  私は長編映画『アリス』『サヴァイヴィング ライフ』、短編映画『魔法のサーカス』『自然の歴史(組曲)』『部屋』『対話の可能性』『地下室の怪』『落とし穴と振り子』『男のゲーム』『闇・光・闇』をみた。

  ☆ シュヴァンクマイエル監督は1934年チェコスロヴァキアプラハ生まれ。映像作家である。
  アニメーションも手がけるが大人向け。共産党政権下でブラックリストに載っている。シュールレアリスムの色が強く、様々な映画祭で賞をとっている。


  〈ナンセンスなハイセンス〉
  
  私はやられまくりである。
  興味が失せるとあっという間に眠れる。
  
  短編『落とし穴と振り子』と長編『アリス』の後半、あっという間に眠ってしまった。

  私は通常あんまり映画館で眠ったりしません。疲れていても、しっかり鑑賞できるタチです。
  それはプラネタリウムで眠るようなもので。
  計らずも眠ってしまう、不可避の絶対的な、贅沢な眠りなのであります。
  つまりとてもロマンチックな昼寝であり、抗えない誘惑であり、少しの罪悪感と優越感に彩られた本能の選択。

  ナンセンスすぎて落ちてる。
  とても耐えられなかった^_^

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  グロテスクで残酷なアニメーション。
  子供が虫を解体してバラバラにするような。
  意味もなく、バラバラにするでしょう。
  ただなんとなくとか、ただ手応えが面白かったとか。虫が可哀想とか、虫が死んでしまう、というのは無い。虫が動かなくなった、虫が小さくなった、というだけ。
  そういう〈ナンセンス〉の集大です。

  ナンセンスは集めると科学反応する。
  良いナンセンスと悪いナンセンスが出てくる。つまり好み。好ましいナンセンスとは後味の良いナンセンス、昇華系ナンセンス。
  軽めで奇抜でシンプルなものがカッコイイのです。印象に残ります。
  シュールさは切れ味が勝負。
  どれだけ鮮やかにナンセンスを極めるか…、それが彼の命題なのではないか、と勝手に思っております。

  深い眠りから覚めたように。
  長い夢から覚めたように。
  映画館から出て、現実世界に戻っていくのでありました^_^

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  (モンティ・パイソンが好きな人は、シュヴァンクマイエル監督は好みだと思うなぁー…)

ぶらりと港町。

  山口県北東部に位置する須佐町という町を皆様はご存知だろうか?
  島根県萩市に挟まれている(市町村合併萩市になっていた。追記)
  Wikipediaには「観光地であるがその成長はない」と言い切られていた。うへ。
  
  須佐の駅。
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  なんかいい感じ。

  スサノオノミコトに因んだ地名らしいです。
  日本海に面した港町。イカ漁が盛んです。

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  須佐のミコトイカ。
  柔らかくって美味しい。ゲソは天ぷらにしてもらいました^_^
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  ↑どの定食も大盛りはサービスしてくれるけど、おかわりは100円。なんだか奇妙な気持ちになる。

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  港は昔ながらのちんまりしたもので、家やお堂が海に隣接している。高潮になったら怖いだろうな。
  でも怖いという感覚は無いのかもしれない。
  海と共に生きている、海によって生きている。農民にはわからない漁師の血が地元の人達には流れているだろう。
  ちっさな魚がたくさん泳いでいた↑
  深いところまでよく見える^_^青い海でありました。

  昼間から温泉に浸かってのんびりとした。田万川温泉。緑豊かな露天風呂で夏の爽やかな風にあたった。極楽である^_^

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  須佐大橋。

  須佐にはホルンフェルスもあります。
  日本の絶景ポイントにもしばしば挙げられております。
  シマシマの断層がよく見える岩場。亀裂もたくさん入っていて楽しい。
  
  海水浴場もすごく綺麗。
  江ノ島とは、…大違い。
  キャンプ場もたくさんのお客様がおりました。夏休みだしね^_^
  「…暑くないのかなー、、」と気だるく通り過ぎる私。そりゃ暑いさ、夏だもの。
  
  リゾートリゾートしていないので、割と良いと思います。須佐。
  味わい深い。

  ただ。
  スサノオノミコトのどんな伝説があるのか?それが見えてこない。日本書紀とか古事記とか古い人なんだから、多少の捏造でもいいから何かないのか。「鬼の洗濯板」とかそういうコジツケ系でも良いハズ。
  町名だけなのだろうか。
  それはそれで、おおらかで良い。

  またぶらりと行こうー。気に入ったのでありました。

  ^_^

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「夢売るふたり」をみた。

  阿部サダヲ
  松たか子、主演。
  西川美和監督。2012年。

  その他、安藤玉恵田中麗奈木村多江鈴木砂羽、など。

  あらすじ。夫婦で営む小料理屋が火事で焼失。新しく店を持つために結婚詐欺をする話。

  板前の阿部サダヲは人が良く、騙していながらも嘘をつくことに傷ついていく。
  松たか子の方は、旦那の阿部サダヲを徹底的にコントロールし手際よく女を騙し金を巻き上げていく。

  女心が凄い。
  詐欺を始めたきっかけは、阿部サダヲの朝帰りで浮気を嗅ぎつけ問い詰めたところからだ。
  酒に逃げて仕事もできない状態の阿部サダヲ。「そのままの貴方でいいのよ」と優しく諭す松たか子が怖い怖い。
  終始、松たか子が怖い。
  なんで怖いかっていうと、やっぱり阿部サダヲのことが好きだからなんじゃないかなー、と思う。相手の女性をリサーチしたり指示を出したりするけれど、阿部サダヲの「また店を持ちたい」という夢を叶えるために自分を殺しているのではないかと思う。他の女にすり寄っていく自分の旦那を冷静に観察している。
  阿部サダヲの濡れ場は多いのだけど、松たか子とは一度もない。松たか子の自慰のシーン、生理で下着を履き替えるシーンなんかはある。この夫婦、セックスレス、もしくは体質的に子供を持てないのではないかと思う。セックスレスでも円満な仲良し夫婦だったのに、、、。

  松たか子の中で「たかがお金」「たかが身体の関係」と罪悪感を間引きしていったのかもしれない。「たかが私」自分さえも捨てて、愛する男の夢のためにがんばっているように見えた。

  阿部サダヲは上手に女を騙す。嘘は全てが嘘ではなく、本当の気持ちも何割か入り混んでいるのだ。
  ウェイトリフティング競技の選手の女性を騙す時、松たか子が「あの子を相手にする貴方があんまり気の毒で可哀想」とこぼしたら「そんな風にうつるお前の世界の方がよっぽど可哀想だ」と本気で言い返していた。騙す相手であっても、心を開いて本当に何割か好きになっている。

  物語の後半、阿部サダヲの心は離れてしまう。
  嘘をつくのが嫌になったのかもしれない。松たか子が嫌になったのかもしれない。相手の女性が魅力的で何割どころではなく十割好きになってしまったのかもしれない。
  板前の包丁は置き去りにされていた。

  夢を捨てた男をみて、女は何を思ったか。

  終始、松たか子の視線が怖い。
  
  鈴木砂羽は男と別れ、颯爽と歩いていた。松たか子は惨めな様子でそれを眺めていた。

  男のために健気につくす安藤玉恵もすごく可愛かった。


  ……「たかが私」と自分を捨ててしまった松たか子が、自分自身でやりたいこと、自分の夢を持てるといいなぁと思った。

  エンドの先にある登場人物の生活を想えるので、この映画は作品として成功している。ハッピーエンドもアンハッピーエンドも、誰かが決めるものではなく、誰かを納得させるものではなく、自分自身のためにある。
  
  


  

ドラバナ。

  昔々。私がまだ大学生だった頃。
  ある先輩が「北の国からのドラマバージョンがとても良い」という話をしてくれた。その時、私は「二時間スペシャルの北の国から」しか知らなかった。純君がいつもメソメソしていて、泣きシーンばかりの湿ったイメージしかなかった。
  先輩は多くを語らなかった。
  だけどその先輩がそのドラマを惚れ込んでいる様子が強く伝わってきて、気になってしまい、レンタルビデオ屋で探してみたのだった。
  …結局おもしろくて皆でみて、仲間うちで「北の国からのドラマバージョン」が流行ったのでした^_^二時間スペシャルとドラマバージョンはちょっと違います。。。

  ☆

  BSチャンネルで↑このドラマバージョンを再放送しているので喜んで録画しております。
  むっちゃアナログで画質もすごく悪いですけど、今みても面白い。
  1話めから「黒板五郎」に引き込まれてしまった。
  黙々と働く姿とか、火を見つめる顔とか、セリフの重みとか。
  純君は小生意気で五郎さんに対し敬語で喋る。五郎さんも小学生の純君に敬語で喋る。東京育ちの子供を、北海道の田舎で生活させるのは、結構なドラマになりますな^_^
  「親子関係をつくる」というのもあるけど「男同士」感もわりとあって硬派。大瀧秀治さんが凄い存在感。硬派を通り過ぎて拝みたくなります神聖です。そうた兄ちゃんがチャラチャラしてていいです。地井さんも地道な感じで親しめます。

  蛍はいつもイイコ。「やったぁ」と飛びあがってコロコロしていて可愛い。
  純君はいつも小狡い。
  五郎さんはいつも不器用。
  この三人の家族は、一体誰が器用なのか不器用なのか、優等生なのか劣等生なのか、逃げているのか逃げていないのか、わからなくなる。
  ↑結局誰も「勝ち組」ではないのだけど、こういう「勝ち組ではないドラマ」って、あの時代に皆無だったと思う。
  今現在はね、普通にエコとかスローライフとかナチュラル志向だったりするので時代が追いついたのかもしれません。

  誰もが傷ついたり悩んだり逃げたりするものなんです。
  それでも前向きに行動する「黒板五郎」は、かっこよくはないかもしれないけど自然と応援したくなります。
  かっこいい言葉はどうにも嘘臭く、手仕事しながら訥々と喋る五郎さんの言葉の方が真摯です。
  言葉って、詰まるものですよねー
  それが対話ってものですよねー
  関係ってそういうものです。

  
  まだ3話めです。先が長いのでわくわくとしております^_^

  

だから私はいつも洗濯から始める。


  家事の中で好きな順番。
  1.   洗濯
  2. 掃除機
  3. 台所系
  4. 草むしり
  5. お風呂系
  6. 車系
  7. 整理整頓
  8. 窓ガラス
  9. トイレ系

  布団やカーテンなど大物の洗濯は大好きである。気持ちいいから。

  掃除機を手にすると全部屋いきたくなる。

  食べるのが面倒な時がある。多々。

  雨が降ると草が伸びる。たまにやる草むしりは楽しいけれど、常に綺麗に保つのは無理。

  お風呂にカビらしきものがくるとぞっとする。蔓延る感じが怖い。

  車はたまに洗うと気持ちいい。
  靴と同じ。ピカピカにみがいたりはしないけど、汚くなっていると嫌になる。

  整理整頓が苦手です、、、、衣替えとか。なるべく持たない、買わないようにしております。

  窓ガラスを磨くのは好き。窓のさんの掃除が嫌い。

  トイレ、、綺麗なトイレは気持ちいいです。なんか忙しい時ほどトイレが汚れているような気になる。

  うーん。
  私は家事が好きでもないし、得意でもないなぁ!!!

  裁縫も日常的な事ではない。ボタン付け程度。
  
  料理もたまにやるから楽しい。三度三度やるのは面倒。

  そう「たまにやるから楽しい」

  月曜から金曜まで。調子のいい時はやるけど、体調が悪ければすぐ寝てしまう。
  すぐ寝てしまえる状況ってありがたいです。
  お弁当も残り物だけパッと詰める。可愛いくなくてもいい、豪華でなくてもいい、食べれればいい。
  約束のない土曜は、平日にため上げている家事をする。家、汚な〜。

  掃除の終わった土曜日。
  そうめん食べて、部屋でゴロンと本を読むのが至福です。
  
  網戸から、もわ〜んとした風が入る。
  エアコンをつけるかどうか迷う。
  (ちょっとつけて、すぐ切る)

  家事が好きな人も得意な人もなかにはいるけど、私の場合、たまにやるから楽しい。もちろん、キチンと家事をやる人は立派だと思うし尊敬する。←自分ができないから。
  (やらなきゃ、やらなきゃ)といつも追い立てられるのは休めない。やるのが当たり前、できない女は格下という評価も苦手。(嫁)って大変だと思う。
  年上の女性が皆(義理の母)に見えたら、友達になれない^_^だから優等生ぶりっこはしない。漬物も得意ではないし、ミシンも持ってないし、パジャマも部屋着も同じです。
  
  せっかく平日がんばって働いてるんだから、休日はぷらぷらしたい。ぷらぷらしたいんだー!

  家事するのも楽しい。
  綺麗になるのは気持ちいい。
  
  だから私はいつも洗濯から始める。


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猫のきもち。

    猫が訴える声は切実です。この世の終わりのように。世界でたった二人の生き残りのように。

  ヒトに対して猫が望むことはごく限られたささやかなことです。

  切実なあおんあおんの後に、うつむく素振りなどされたらどうしますか。
  猫が正しくて自分が間違っているような気分になります。

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  私は灰色猫にとって単なるシモベであります。
  エサを出すヒト、外に出すヒト、外から入れてくれるヒト、水を足すヒト、、、それ以上でも以下でもない。
  常に女王様のようにロイヤルな雰囲気であおんあおんと鳴きたもう。

  「ワタクシ、帰ってまいりました」
  「何処に行っておじゃったか。わらわは外に出たい」
  「さぁどうぞ。お出かけになりたければ」
  カラカラ。戸を猫の目の前で開けてやる。
  猫、しばらく外を眺める。
  「…何やら水で濡れておるぞ。外に出たら濡れてしまう」
  「それは『雨』と呼ばれるものでござりまする。ワタクシにはどうする事もできませぬ」
  「何をいうか。このうつけ。濡れておっては出られぬではないか」
  「ワタクシではどうにもできませぬ。雨は降るのでございます」
  「オシッコできぬではないか。散歩ができぬではないか。見回りもできぬではないか」
  「トイレはあちらに備えてあります。外出しなくても、あちらで用足しできまする」
  「外は濡れておるではないか。オシッコできぬではないか」
  「雨はどうにもできませぬ。出るのですか、出ないのですか」
  「濡れておるではないか。濡れておるではないか」
  と言いつつ、短時間で(多分オシッコだけして)帰ってくる。
  
  帰ってくるけど、また外に出たがる。
  「わらわは外に出たい」
  「雨でございます」
  〜繰り返し〜


  あまりひどく雨が降る時には、室内の猫用トイレで用足しをする。粛々と。

  しかし雨が降るたびに「外が濡れておる」と鳴く。『雨』を学習しない。流石、猫である。雨が降るたびに「外が濡れておる。出られぬので何とかせい」である。

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  無防備に寝っ転がる猫に、猫吸いする。
  湿度が高いのと、猫の毛の生え変わり時期であるので、顔に猫の毛がつく(それでも吸いよせられるように、猫に顔をうずめる…)
  猫は気だるげに寝そべる。
  
  「雨が降っておりまする」
  「雨とは何ぞや」

   「外が濡れて仕方ないことでございます」
  
  世界でたった二人しか居ないような気分になって、猫を吸い込む。