考えるくらいなら、恋なんてしない方がよい。

  マルケスやら前登志夫やらカズオ・イシグロやら澁澤龍彦やら、地平線が見えるような文章を読んでいたら、、、
  ……身近なモノ、通俗的なモノ、リズミカルなモノ、小さな喜びのような文章を読みたくなって。…いわゆる「滋味」手触りのある・生活感ある・等身大の文章が読みたくなる。

  「滋味」って難しい。
  薄いモノではない。余白のある呼吸するような文章。
  緊張感がなければいけないけれど、作り過ぎると損なわれる。
 適度な纏まり(予定調和)と小さな裏切り(可能性)で、「物語」は終わるようにもあるし続いていくようにもある、そういう流れ。

  、、、刺激的なものはわかりやすい。おもしろい・おもしろくないの判断よりも前に読者の感覚をとらえる。感覚器官が反応する。だから流行もエログロも悪趣味も否定しません。
(私の好みを言えば、エログロ過ぎるのは苦手なのです、疲れてしまう。そして感傷的なモノもどっと疲れる。、、、疲れちゃいけないと思うのですよね)

  、、、
  だから適度にね、下品で上品なモノが好きです。

  

  推理小説やエッセイなんかを読んで「あー、おもしろかった!!!」と思う作品は、作中のニンゲンが立ち上がってくる。ニンゲンが話しかけてくる。適度に下品で上品なニンゲンが人生の有り様を見せてくれる。

  …結局、地平線を見るような気分になる。

  …結局、地平線を見たいのだな、と思う。

 
  ☆

  昨日まで読んでいたのは『無垢の領域』桜木紫乃。新潮社。2013年。

  恋愛小説として括るのは、ちょっともったいない。

  登場する男女は、幸不幸の客観がない。自尊心はそれぞれ持っているくせに、互いの存在を楽しんでいるくせに、自分や相手を評価しない。評価しないというのは、どう思われようと構わないし、どういう風に見せようと作為しないという意味、過大にも過小にも評価しない。普通はカッコつけたり良く見せようとするだろう。けれど彼等は欠点や長所も関係ない。好きになる理由を書かないのは、高村薫と同じだなと思った。

  (「主人公合田が作中の女性美保子を好きになる理由が最後までわからなかった」という読書感想があった。私はその感想の意味がよくわからなかった。好きになる理由は必要なのか。理由がなくても恋はできると思う。確かに何処にも書いてない。そしてそれは全く問題ではないと思う『照柿』高村薫について

  
  「いい書き方だな」と直感的に思った。
  登場する男女は強いようでいて弱いのだけど、弱いようだけど強い、と言い換え可能なのです。犯罪者になりそうな程危うくも感じられ、同時に純粋で情熱的。それは不幸なことでもあるし幸福なことでもある。冷静で賢いけれど、だから傷つかない、身が入らない。それは幸福なことでもあるし不幸なことでもある。
  遠くに沈む夕陽を見るように。仕事して恋をして終わるのだな。


 男女は惹かれたり離れたりする訳ですけど。
 時々思い出したりするのだろうか。

  登場する女性それぞれが、やけに素敵に思われました^_^
  (でもそれぞれ不幸。ナンテコッタ!と叫ぶほどに不幸)
  
  吹っ切れる感じがして爽快です
  そういう意味で刹那的。
  生きるって、こういうことです。