隣の席の松田さんが、盛大・特大なため息をついた。
「松田さん〜、そんなため息。幸せが飛んでっちゃいますよ?」
「幸せを一人占めしたらダメでしょ?ずーーーっと、幸せな人なんか、おらんよ。幸せは皆に少しづつ。幸せって、巡るモン。巡り巡って、また幸せよコンニチハだよ」と言われた。
おぅ。松田さん、かっこいい。
「私。でも。ずっと幸せがいいな。るん」と言ったら、、、
「 」
…… 十分な間があって、
「何を幸せと思うかよね。、、何も無いのが幸せなのかもしれん」と言った。
確かに。
忙しい時には、自由な時間がありさえすれば「幸せになれると思っていた」
暇な時には、夢中になれることがありさえすれば「幸せになれると思っていた」
片想いの時期は、両想いになりさえすれば「幸せになれると思っていた」
両想いの時期は、結婚すれば「幸せになれると思っていた」
家族ができれば「幸せになれると思っていた」
皆が幸せになれば「幸せになれると思っていた」
離婚して、家族が亡くなって自由になる人もいる
強いのか弱いのかわからない松田さんをみて、
松田さんには「私の幸せはわからないだろう」と思った。それはそう。私には松田さんの幸せはわからない。
人並みの人生を生きることはもしかしたら「幸せ」なのかもしれない。
でもきっと。私にとっては、幸せではない。
「欲望を満たすこと」イコール「幸せ」ではない。
「足りない」から、わかることもある。
簡単に手に入る両想いなんて、願い下げ。
恋しい気持ちがないなら、一緒にいる意味はないもの。
失恋の夜にも朝は来て、
昨日と同じ顔をして出勤する
「恋しい」気持ちは変わらずに
わかったような顔をして
自分が何に対して傷ついたのか傷つかなかったのか、
(付き合ったあげくの別れではないから)
反面、まだこういう片想い的な行為もできるのかと自分自身に感心しつつ、、、
やっぱ(恋しい)よね。
(恋しい)気持ちって、変わらないよね。と、ため息。
いっそ。こっぴどく別れた方がよっぽどスッキリする。
遊びも本気もないから。いつしか遊びが本気になるから。
暇つぶしで遊びませんから。
つまり、いつでも本気になる覚悟あります。
…と思いつつ。
自分が自分らしくあれば「幸せ」
自分を曲げずに恋できたら「幸せ」
一面的であっても他人から愛されることができたら「幸せ」
足りない時でも足りないことを楽しめる自分ならいいな、と思う今であります
(携帯を気にしてしまう自分が女々しい)