湯気と光(モノクローム)


寒夕焼(かんゆやけ) 尿(しと)より上る湯気照らす

ドロさんの俳句。


  綺麗なばかりの詩句より、少し汚い詩句でないと心に止まらない。

  夕焼けに照らされながら立ちションベンする情景、です。


  私は登山などで山に入ると、たとえトイレがあっても使わない。(人が大勢いるような処なら使います。勿論)

  サービスエリアやデパートのトイレは近未来的で楽しいけど、山のトイレはとても怖い。

  山のトイレ……仮設トイレのようで、ぼっとん、蜘蛛の巣でひどいことに、とにかく暗くて、臭いがキツイことも、誰かの気配が、音も響くし、大抵狭い、、、、ね、怖いでしょ??

    …山の奥に少し分け入り、しゃがんでピッピッとする方が気分がいいし簡単だ。私は女性なのでしゃがんでする。撥ねるから。もしも男性なら、湯気まで見えるのだろう。高い場所からションベン小僧のように立ちションベンしてみたいものだ^_^

  なんかソレッテ綺麗だろうな…、と少し羨ましく思った。



  寒い日に呼吸が白く見える。鼻息まで。

  露天風呂にしっかりとつかった者から湯気があがることも、、


  想像する。もしも私がこの夜に、腹かっさばいたなら、黒い血が大量に流れ出て湯気があがるのだろうか


  生きているって、そういうことだろう。。


  電車で通勤していた頃、座席に座れる場合、私の肩にもたれて眠る人がいた。疲れて。

  パーソナルスペースを侵されている^_^なんとか自立(?)して眠ってくれと思い揺り戻したりしてみたけど、しつこくしつこくもたれかかってくる。私はわりとすぐ諦める。

  見知らぬ他人だろうと。

  若いお姉さんでもハゲあがったオヤジでも、肩を貸すことは容易い。

  その人の匂いが不快でない限り、私は他人を許すことができる。。。

  (そういえば私は、男の人の耳の後ろの匂いを嗅ぐのが好きだった^_^)

  生きているって、そういうことかな



  モノクロームの夢をみる


  ちょうど今朝モノクロームの映画をみた。

  男は街にいる。友達も仕事も女も街にいる。

  男はある女を愛し、傷つけ、泣かせた。

  涙が光った。

  街は色とりどりで忙しく変化する。出会いも別れも色とりどり。

  ありふれている物語。涙に色は無い。


  ああ、それでも。



  彩りの固有名詞も

  批評も風刺もジョークも、

  名声もプライドも要らない。


  ぬくもりと優しさだけではない。愛でも恋でもないかもしれない。女は女神のようだった。

  42歳の男は「君は若い。これからいろんな人に会うだろう。君は変わっていくだろう」と言った。

  18歳の女は「私は変わらないかもしれないわ」と言った。

  男は言う「行かないでくれ。僕は君が変わってほしくないんだ。このままの君が好きなんだ」

  女は言う「変わるべきだと言ったのは貴方よ?私は変わらないかもしれないわ。もう少し、信じてみたらどう?」

  

  (ウディ・アレンの「マンハッタン」です^_^)   


  人って、手に入らないものばかり追うのです。

  夢中になって

  そして匂いや熱や光なんかを、思い出のように集めるのです

  モノクロームの夢の中で