承認欲求。

  私がブログを始めたキッカケは、ある人の書評に行き着いたことだった。

 それまで「ブログを書く人イコール自己主張したい人」という認識があったので、検索してブログに行き当たるとなんとなく「ぬべー」とした。
  その「個人的な感覚」とか「個人的な熱情」とか「個人的な意見」みたいなものが絡み付いて「た、、、助けて〜!」と目が潰れそうだった。。。

  たまたま行き着いたその人の書評はドライな感じで読みやすく、その人が他にどんな物を書くのか、興味を持ってしまった。
  わきまえている、というか。礼儀正しい印象だった。上手だった。
  歳もそれほど離れていなかったし、境遇も通じるところがあったし、すごい勢いで過去の記事を読んだ。読めば読むほど個人的な興味が湧いた。自分と似通っているような気がした。同類の友達のように、その人が面白いと思うものは自分も楽しめるんじゃないかと、アンテナをはることができた。
  その人は、書評の他にも、音楽のこととか映画のこととかテレビのこととか日常の日記のような物も書いていた。たまに創作的な物もあった。

  実際の友達関係なら、個人的付き合いで本や音楽や映画の話もする。
  だけどいくら友達関係でも、創作的な飛躍世界や日記的なダラダラ世界はまず味わえないなーと思った。
  ブログって。その意味では、実際の友達関係以上の物があり得るなー!と確信したわけです。アンテナもはりやすいし。
  そのブログ主と会ったことなくても、実際の友達関係をすっ飛ばして、ネット上で繋がりが持てる。

  当然。そのキッカケを与えてくれたブログ主に読んでもらえなくてもいい。なんとなく自分もブログ記事を書き始めていた。

  ☆

  でも、やっぱり自分はそのブログ主に自分の記事を読んでもらいたかったのだと思う。

  たくさんその人の記事を読んで、(その時は私には時間があって、そうして誰かと新たに関係を築くことは自分にとって重要だったのだと思う)その人を「知りたい欲求」があった。
  知れば知るほど知りたくなる、というのは依存症でしょう。
  その人のいちいちを知ることで具体的な情報を集めて、架空の友達を作っているようなものです^_^

  だからやっぱり、自分の正直を書くことによってその人と繋がりたかったのだろうな。読まれることを期待して。

  ☆

  今も私は記事を書いているけど、全て自分のことばかりだ。私が体験した事やなんとなく思った事やみた映画の事、読んだ本の事、嫌だった事、、、
  その特定の誰かに読まれる事を期待しないと思うのは、やはり嘘なのだろうか?
  猫好きの誰かに触発されて書いた記事もあるし。関東に行った時は関東の人を思う。京都に行った時は関西の人を思う。不思議な事が好きな人を思って、不思議な事ってあるよねという記事を書いた事もある。

  それでやっぱり他人からみたら私は「ぬべー」としたブログを書く人の1人なのである。

  記事を書きながら「何やってるんだろうな私」と思うし。
  それにしても続けて読みたいブログが増えた。
  定期的に更新してくれたら読めるけど、(例えばアリスさんのダイアリーが私の中で行方不明になってしまっている。誰かアドレス教えて)
  
  読んでもしょーもない記事ばかりだけど、、、私ったら読まれたいんだろうなぁ、、、とつくづく思う。
  
  日常生活では、自己主張し辛くなっているのでしょう。自分の正直を言えなくなってきている。

  友達にグチるように、手紙を書くように、心のノートに感想文書くように、ダラダラと書かずにはおれないのだろうなぁ。。。

  んー、でも。
  このブログでブツブツ言えなくなったら、私は不健康な気がしています。

  誰が読んでくれなくても、
  ブログでブツブツ言える私でありたいです。