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  登山者の世界では、「危険と困難は別だ」と言われている。

 では、問題。障害を回避することと、障害に挑戦することと、どちらが正しいかどのように判断すればよいのか?


 危険と冒険は仮に別のものだったとして、それを峻別するのは神の業ではないか?



 経済利益主義、情報社会のなかで、机上の知識よりもゆるぎない実体験を多く積みたい、と思うのは自然であると思う。不確かな知識よりも、経験豊富であることを尊ぶ。

 目的意識の喪失…。それは現代社会の問題の根本だが、どうだろう、とりあえず秘境に行ってみるというのは^_^私は提案する。

 提案、「秘境に行ってみる」


 絶えそうになる道をいく。情報のない土地にいく。

 秘境に行く歓びは、自己責任による自己決定という、人間が人間らしく生きる上で不可欠な自由の真髄がそこにあることである。冒険の結果、ケガをしたり死ぬこともあるかもしれない。それを踏まえても、冒険に出たいと思う。なぜなら、それが生きるということ。


 考えてみれば、不確実な情報の山のなかに私たちはいるのだ。メディア、ネットを信頼している人たちは、どれくらいいるだろう。信頼するって、どういうことだろう。


 大事なことは、自らの経験と責任で判断し、失敗してもその過程を楽しむ余裕をもち、次への示唆をくみとるしなやかな感性を養うことだ。

 冒険は、次の冒険を呼ぶ。


 そういえば、「行ったことない場所が、行きたい場所」と言っていた人がいたな。