桜の森の満開の下

 大学一年生の時、一般教養の選択科目で「日本文学」を選んだ。

 北村先生だ。

 最初の題材が、坂口安吾の「桜の森の満開の下」だった。


 先生は自ら音読した。すごく上手な訳でもない。下手ではない。まあまあ上手なのだ。ただ音読して、次の題材にうつった(レポート提出くらいはあったかもしれない)


 どういう理由だったか忘れたけれど、先生と休日に待ち合わせて、玉川上水に行った。ほかの学生も二人来た。桜桃忌のあとだったと思う。先生は太宰治が好きなのである。太宰の墓参りをして、新宿でお酒を呑みに行った。

 多分、先生は文学が好きで、学生たちと文学について語りたかったのだろう。期待に応えられたかはわからない。


 後日、先生から立原道造の詩集やら、別冊太陽の立原道造特集やらをいただいた。私が好きだと多分言って、それを覚えていてくださって、わざわざ探して持ってきてくださったのだろう。喫茶店で二人相対したが、目の前にあるのはコーヒーだし、なんだか気詰まりだったように記憶している。


 まだ四十代だったかもしれない。五十代でも、一か二だと思う。突然の訃報だった。学校の掲示板に貼ってあった。隣には休講の案内が貼ってあり、訃報がにわかに信じられなかった。自宅で心臓で倒れた。すぐに病院に行けば助かったかもしれない。家族が留守だったので助からなかった。


 玉川上水に一緒に行った学生たちと、先生の自宅に線香をあげに行った。

 優しい顔と、音読する授業と、玉川上水をどんどん歩いていく背中と、照れたようにお酒を呑む(すごい量を飲んでいた)姿と、太宰が好きだと言う話と、次々に思い出されて、線香をあげながら号泣した。


 桜をみて、先生を思いだした。

 あやしい安吾の話、嬉しそうに音読する先生の授業、大学一年生の春。