理由なんかない

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 自分の意識のうちに、クールな部分とホットな部分がある。


 クールな私は外側の私。美意識の私で、空気を読む私。批評する私。

 ホットな私は内側の私。悪趣味な私で、空気を読まない私。野蛮でズボラな私。


 美意識はこれはしない方がいい、こうあるべきではない、余計なものはない方がいいと保守的に訴える。


 悪趣味は常に覆したい、変わりたい、一歩先に進みたい、ルールなんかぶち壊してしまえと革新的に訴える。


 どちらもそう。同じ私。バランスをとりながら存在するのです。


 良いものはひとつでいいはずなのに、私は飽きる。好きな人は一人でいい。好きな曲はひとつでいい。好きな映画もひとつでいい。好きな本は一冊でいい。…のはずなのに。

 

 「これはすごい‼すごい‼」と思う私の気持ちが私を動かす。すごい‼と思う私はもう止まらなくて、失うものがあったとしてもこれを守りたいのだ!と感動しているのだ。

 

 こうあるべきとクールな私が批評しきれないものを求めて、ホットな私が自分の根本を揺るがすようなものに出会いたいと走り出す。


 積み上げては崩し、また積み上げては崩す。

 

 私を無茶苦茶に感動させてみろと怒鳴りつけながら、論理の仮面をかぶる見知らぬ人を試すのである。我ながら無茶苦茶だと思う。


 本当は理由なんかない。


 若干ホット側が優勢なのだろう。

 

 理由なんかないのだ。