すんごくすんごく美味しいモノを食べた時、人は泣きそうな顔をする。
泣きそうな程幸福なんだと思う。(同時に食べ終わったらなくなってしまうという淋しさもあるのか?)女性の方ならわかってもらえると思うが、女性同士なら「コレ、最高に美味しい!」とアイコンタクトをとりながら、その感動を無言で確認しあう。相手も自分も泣きそうな表情を惜しげもなく披露しあう。小声になったりする。眉根を寄せて、秘密を囁くように頷きあう「これ、美味しい…!」
私はこの一連のやりとりがとっても好きです。感激を共有することって、実はそんなにないと思う。
例えば ライブ会場で。
アーティストが観客席にマイクを向けて、ライトを白にして観客席にビカッとあてる瞬間。私たちは皆泣きそうな顔でその曲を合唱しているだろう。祈るような気持ちで、幸福に包まれて、一体となって。
例えば、舞台や映画をみていてそうなることもあるし、美術作品をみていてもそうなることはある。そっと横顔を盗みみれば、泣きそうな顔の人はきっといるはず。
つまり、美味しいモノに出会う度に私は、いちいちそういう気分になっている訳です。人が泣きそうな顔しているのをみると嬉しくなってしまう。
好きになりすぎて、気づいたら自分の一部になっているモノがある。
食べ物なら文字どうり自分の血や肉になるのだが。
繰り返し読んだ作家や繰り返し聴いたアーティストはもう記憶のようなもので否定することはできない。誤魔化しようもない。通ってきた道で、経験したもので、リセットはききません。
そしてふと思う。私はこの画家が好きだったのか、一緒にみたあの人が好きだったのか?と。
純粋にこの画家が本当に好きだったのか?と。この画家が好きだった自分が好きだったのか?と。この画家が好きだと言ったあの人が好きだったのか?と。