尾崎放哉の心境

淋しい寝る本がない


自由律俳句⬆です。



杉浦日向子の食・道・楽』を読み終わってしまった…。未練がましく、読みかえしている。どのページもすごく好きだ。

 食や酒の話は涎が出る。器の話はウットリとする。病の話はしみじみときく。蕎麦屋の話は真似してみようと思った。言葉のいちいちにほぐされる。理屈なんか捏ねてないで、臨機応変でいこうと決める。


  通して私が思ったことは、彼女は「憩う」のが上手。「憩」という字は、心の上に自らの舌が乗っている。味わうことにより心身を癒やす。飲食のみならず、景色、出会いも味わいだ。ひとりで選んで、ひとりで味わうことができる。

 すっと力を抜くのも上手だ。


 江戸のころ、「闘病」という言葉はなく、「平癒」といったそう。

 照る日曇る日は誰にでもあって、自分の身の内に棲む不健康、不機嫌をなだめすかし、やり過ごすのが、健康の極意なのでは?と彼女はいう。


 印象的だったのが「死とか生とか」という章。自傷行為をする若者に向けて書かれた文章。

 抜粋。


  … 死ぬまで生きていればいい。せいぜい生きていれば、周りを取り囲む背景や状況の展開も移ろっていくだろう。焦るな。「慌てる乞食は貰いが少ない」なにひとつとして不変なものはないだろうし、世界の中心にたった独りで立っているわけじゃないし、外野スタンドから、この世というゲームを観戦し声援し夢中になって参加すればいい。

 生老病死は命の四点セットだから平等に付き合おう。病気の時は生きて老いることを考え、元気な時は老いや病気を考え、老いれば病と生きることを考えれば、円く死が完結させてくれる。心の病でも、病に溺れず、生きて老いることを考えよう。

 

  … 下手な抜粋で、未読の方に先入観を持たせたくない。私にしっくりときたものは、皆にしっくりとくるとは限らないから。なので、〆る。


  … 〈最後の晩餐〉何かひとつ、と問われたら、塩ごはんと決まっている。米、炊き方、塩は頼む人に任せる。深い木椀、しっかりした木の箸で、もくもくと食べたい。…


いれものがない両手でうける           


…ちょうど今が、そんな心境なのかもしれないと、思ったり思わなかったり。