視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚。動物の持つ五感の中で、ヒトは視覚を発達させた。視覚によって、より多くの情報を伝達する。
道具として言葉も使う。より抽象的な情報も伝達できるようになった。
それぞれの感覚器官がある、目、耳、肌、舌、鼻。喉、胃袋、腸、穴。それらの感覚器官が情報を脳に伝達し、情報として(言葉にしたりして)処理する。
脳が感覚を騙すこともある。
脳が実際の感覚を認識しなかったり、実際の感覚とは別のものを認識したりする。
脳が統制を失えば狂う。
それはとても恐ろしいことのように思える。
臭覚の発達した犬は、煙草を吸わないし、シンナー臭のするものは舐めない。毒だと分かるから。
五感を使ってする料理という行為。料理のできるオカミサンはやたら信用できる。
感覚から離れてしまった詩人は信用できない。
理論武装するアーティストは信用できない。
絶対音感はどこか神々しい。
脳には未知のスペースが有り、解明できていないことはあまりにも多いという事実。
自分もやはり視覚人間だと思う。音楽好きの友人よりも、かなり大雑把な感想しか持たない。味にもうるさくない。臭いにも鈍な方だ。料理のできるオカミサンはカッコイイなと思うけど。食べるのが面倒だと思うことがある。現代人なら仕方ないかな、と諦めてもいる(基本は好きなんですけど、どうしても、忙しい時は)
何故、こんなことをうだうだ考えるかといえば、シックスセンスを考えていたから。
普通に解釈すると超能力ですけど。私が思うのは保守力。
(何を考えているかわからない人は怖い)そういう、保守力。
未知なものに対して大概ヒトは身構える。受け入れるにしても、拒むにしても。社交的な人は瞬時に社交すべき人を見分ける。得になるか、損になるか。面白いか、面白くないか。新しい経験になるか、すでに経験したことか。
感覚を総動員して、社交すべきかどうか判断する。身を護るためといったらなんですけど、それはすでにシックスセンスだと思っています。
保守力の具体的な方法として。
私たちは関係を築く。まず家族、次に近所の人、その次に社会の人。お天気の話から始める。前置きをする。ものをあげる、ものをもらう。趣味の話をする。仕事の話をする。自分は安全だとアピールする、あなたは安全ですか?と探る。関係を深めるというよりは、持続させたり拡散させたりする方が肝要。そういうものです。
近所付き合いとか、世間話しとか、自治会とか、煩わしいと思うのはお互い様。真から楽しんでいる人はそれほどいない。
保守力は山村に住む人や農業を営む人に強いと思う。「保守的」とか「保守派」というより、「保守力」という方がなんとなくしっくりする。それは身構える力なのだと思う。
頑なな人とか頑固な人にウンザリすることもあるけれど、それは生き方なので仕方ない。否定はしない(時々する)
山口周南の放火殺人事件のニュースをみて、なんとなく感じた哀しさ。
猥雑な関係、猥雑な情報を峻別する(内包する・統合する)センス、力を持ちたい。くだらないと思ったとして、くだらなさに耐える心がほしい。
感覚を鈍すれば救われるという訳ではない。感覚を生かして、ザワザワするものから逃げること。ザワザワするものをザワザワするものとして、突き詰めないこと。毒を毒として感知し、否定せず、うまく付き合うこと。
そういう能力を持ちたいものです。