「今日の日はさようなら」

  マスターの話。

  マスターは普段は泣かない。


  ある時、私が音楽に感動して泣いたら、マスターももらい泣きした。皆に「あ、マスター泣いてる!」と囃し立てられた。

  私が泣いてるのを見て、マスターは途端に泣けてしまったらしい。お互いを指差して泣いた顔を、笑った。


  昼間は喫茶店、夜はパブ、たまにウクレレ教室になる。

  お店はいろんな楽器が溢れ、お客が演奏したり、唄うのに伴奏をつけたり、楽器演奏を教えたりしていた。お客は無用になった楽器を寄付した。旅行にでかけたら、お土産は楽器だった。奥様には内緒で購入した楽器の倉庫でもあった。

  リズム系打楽器は、いろんな人がいろんな形のものを持たされた。強制参加です。

  私は音楽の才能は全くないけれど、音楽を聴くのが好きで、即興演奏を興味深く味わっていた。

  夜中の音楽は殊更に響く。

  

  なんにも考えていなかった私だけど。


  マスターはいろんな人の、いろんなことに触れた。

  ほぼ他人、のソレなのだけど。

  

  マスターのお誕生日会をみんなで開いた時に、いつも伴奏のマスターに、ギターの弾き語りをさせた。マスターは、自分の声を良く思っていない。渇いてしゃがれた声だ。悪い声がどんなのだかそれもよくわからないけど、悪い声ではないと思う。

  いろいろ唄ってくれたけど。

  二カッと笑顔で「一緒に歌おう」と言ったのはこの曲だった。


  「今日の日はさようなら」

  いつまでも  絶えることなく

  友達でいよう  

  明日の日を  夢みて

  希望の道を


  空をとぶ  鳥のように

  自由に生きる

  今日の日はさようなら  

  また会う日まで


  信じあう  喜びを

  大切にしよう

  今日の日はさようなら

  また会う日まで

  また会う日まで


  こんな風に言うのは、本当に申しわけないと思う、……、

  ……私はマスターと、もう二度と会わない。


  私とマスターを結びつけた人と私が、別れたからだ。

  その男の人と別れることは、彼の友人とも別れることで。私は彼の付随物だったから、潔く身をひく。


  行くまい、と決めていたのに。その店に、女友達に連れていかれた。別れることを報告した夜だ。

  私は女友達に話すようには、男性であるマスターに、ちゃんと説明できなかった。それでもぼろぼろと泣いて説明した。正直に話すことが、今までの誠意だと思った。それでも胸につまって、言葉足らずだった。

  マスターは話をちゃんと聞いてくれなかった。

  うんうん、とうなづいて、うんと濃い酒を私につくって、奥に行ったり来たりした。代金は受け取ってもらえなかった。

  マスターは静かに泣いていた。


  年のうんと離れた、異性の人が、何故、自分の為に泣くのかはわからない。


  でも私はお別れを告げた。

   お別れを告げることもなく別れる人もいるから、それなりに幸運だったと思う。

  

  新しい場所で新しい人と出会うために、きちんと別れたい。

  胸をはって出会うために、逃げるようなことはしたくないと、ただ、酒を呑ませてもらった。

  優しさに泣けてくる