一日が潰れてしまった。

  昨日の夜から『季節の記憶』保坂和志を読んでいる。

  ちょっと読んだだけで〔この本は私にとって大事な本だから、明日一日潰しても構わないから、読み通さなければ〕と直感し、妙な使命感に駆られたのだけれど、……、進まない^_^

  バーっと読める人っているのかな?

  

  登場人物

○僕……感傷的なことを嫌う物書き。三十五歳。鎌倉、稲村ヶ崎に息子と暮らす。妻と離婚。


○圭太……中野(僕)の息子。義務教育ではないという理由で幼稚園には通わない。自分のことを(クイちゃん)と呼ぶ。なので皆が彼のことを(クイちゃん)と呼ぶ。哲学的文学的科学的な質問を大人にぶつける。大人がつまらないことを言ったりすると、「つまらない」とどこかに行ってしまう。


○美沙ちゃん……二十四歳、近所の女性。クイちゃんと仲良し。あっさりしている。実際的な評価や説明は的を射ていて、信頼できる感じ。彼女になら「バッカみたい」とか「やだぁ」とか、言われたい^_^何でだろう?


○松井さん……美沙ちゃんの兄、四十四歳、便利屋。以前は会社に勤めていたが、両親が亡くなり、それをキッカケに便利屋になった。顔が大きくて長い。未婚。美沙ちゃんは全面的に松井さんを信頼している。器用で行動的。


○蛯乃木……和歌山の白浜温泉で実業家をしている。清掃、ベッドメーキング、メンテナンスなどの会社の跡取り息子。中野の友人。自分は現代の宮沢賢治だといい、「みんなを幸福にしたい」と思っている。宗教団体の集まりに参加して、あそこもダメそこもダメとまわったりした。クイちゃんのことが大好き。


○二階堂……中野の友人。同性愛者。タツヤにふられた。愛に生きている。


○ナッちゃん……三十一歳、女性。美沙ちゃんの友人。つぼみちゃんの母親。離婚直後。美人でスタイルがよいが、しゃあしゃあとしたり、血液型を判断基準にしたり、要注意人物。


○瀬霜さん……サーフィン第一世代。


○杏子……美沙ちゃんの友人。


○高平くん……蛯乃木の会社の従業員。


  その他にも、クリーニング屋のモデルのようにきれいな女の子や、ホームレスなど登場する。


  「僕」が、朝食用の野菜スープを夜中に用意するのとか、クイちゃんが「まぁるいケーキ」をずっと楽しみにしている様子とか、そういうキラキラとした日常が描かれている。

  クイちゃんが庭に大きく育ったセイタカアワダチソウやらヒメジョオンと格闘する場面など、かなり詩的だと思う。

  それでいて日常としてのリアリティが多分にあって、まるで日記のように淡々としている。

  会話に出てくる言葉が、「愛」とか「世界」とか「現実」とか、ビックワードが多いのだけど、偏りのある人たちの会話なので、まるでセッション。ゴロゴロとした大きな言葉をどんどんと言い切っていくので小気味良いのだけど、私自身が消化できない。流されそうだ。「僕」と一緒にわりと動揺する。


  ……、なので、読んでいる途中でよく休憩をする。

  食事してみたり、ビールを飲んでみたり、図書館にきてみたり。今も、休憩中。蛯乃木に流されそうになったので、時間をとっている^_^


  感想とはまた違うのだけど、(最後まで読んでないし)、この手の本は必要ない人には一生必要ないだろう。

  感動ポイントも泣きのポイントも、(多分、)用意されていない。

  生き方を示すような教育的ポイントもない。

  ユーモアでもない。

  真面目な本なのだけど、この真面目さはすごく個人的なものだ。


  私は場面ごとにいちいち覚えておきたいと思うけど、単なる「僕」の日常のスケッチの集積だ。必要ない人には、本当に一生必要ないだろう。「つまらない」と言って、おしまい。

  ありふれた物語、と言うかもしれない。

  ありふれた物語の方が、本当は難しくて、奥ゆきがあるのだけれど。そういう意味では、これは、とびきり上質な「ありふれた物語」だ。


  私は偏っているけど、その偏りが許されている気分になる。

  夜中に野菜スープを煮込むような、家族間のみ通用する日常のルールや言葉が、何故だか私を安心させる。


  ごく私的なものなのに。(小説なのだけど、創作のような気がしないのが不思議だ)

  いつか自分がみた夢の中で、自分が忘れてしまったけれど、自分にとって大事な何かに出会ったような気分だ。