私は広い処が好き。
海とか砂丘とか飛行場とか港とか。山のてっぺんも、見晴るかすことができるので好き。同じ意味で、観覧車のてっぺんも、飛行機からみる窓の外も好き。
地平線や水平線が、まあるくカーブしているのを見れたら幸せ。
鉄道の旅は、広いことが実感できるので好きだ。バスの旅も。でも、歩きまわるのがいちばん好きだ。
嫌いなのはエレベーター。
狭い箱に入れられて、上下するのが苦手だ。怖い夢の筆頭がエレベーターで、エレベーターの中でどんどん落下していくというもの。汗をビッショリかいて目覚める。怖いよー。
長いトンネルも怖い。
すごく下まで降りていく地下鉄も怖い。
鍾乳洞や洞窟も、人工物ではなく天然物だけど、ちょっと怖い。(火山口なら広いから怖くない、てっぺんだし)
ゴチャゴチャとした都会に人が集まるのは、寂しいからかな?
人にまぎれてしまいたいのか。狭い処で肩寄せあっていたら寂しくないもんね。
(自分はこのままで良いのか?)とみんな内心思っている。
独身者は家族を持とうと結婚を考えるし、結婚した人は(本当にこの人でよかったのか)と不安になるし、子供がいない人は焦る。子供がいても愚れたらどうしよう落ちこぼれたらどうしようと不安は尽きない。子供がちゃんと自立しても病気になったらどうしよう、貧乏になったらどうしよう、離婚されたらどうしよう、家族が死んでひとりぼっちになったらどうしよう、などなど。考え出したらキリがない。
同世代の友達を覗きみて、比べて、(自分はこのままで良いのか?)と問う。それは勿論「答え」ではない。答えあわせをしているだけ。同じだったら安心だから、カンニングをしているのです。
広さに耐えられない人が、群れる。
広さを好む人が、ふらふらと確認してまわる。いろいろに、それぞれに答えが在るんだと知る。
(自分はこのままで良いのか?)という問いは、旅人も同じように持っていて。
(自分だけの)絶対的な答えを出そうとしているか、
相対的に答えを出そうとしているかの違いではないかなぁ、と思っている。
誰だって答えがほしい。
自分だけの、本当の答えがほしいと考える人は、遠回りでもまわり道をしなければならない。座りこんでいても、答えはやって来ない。
だから逆にね。
迷いがあるなら、広い処に出てみたらいい。
帰ることを考えず、彷徨ってみればいい。