『花ざかりの森・憂国』三島由紀夫、新潮文庫。を、読んでいる。
三島由紀夫自選の短篇13編で、解説も三島由紀夫本人が書いている。
短篇のくせに濃い。スケッチのようなものもあるのですが。
『詩を書く少年』は三島本人が十五才の頃に出会った命題だろう。リアルに絶望している。私はこれを読んで太宰治の『女生徒』をなんとなく思い出した、そしてやっぱり三島由紀夫の方が好みだと思った。詩の中に浸り、幸福な天才少年は、恋を知らない。薄命な詩人たちの、言葉の中の恋愛を生き生きとしたもののように感じている。美しい内的世界に生きる少年は、冷たい。詩が自分を救ってくれると考えていたが、自分自身も滑稽な存在で「ひょっとしたら、僕も生きているのかもしれない」と予感して終わる。
他の短篇の登場人物も、どこか「世間知らず」だ。
純粋にも程が在る。
私自身は、詩も書かないしそこまで純粋でもないし高慢でもないつもりだけど。勿論15才の天才でもない^_^
時々、内的世界で美しさにうっとりしていることがある。
(死ぬ瞬間にこの風景を思い出したい)とか(この心持ちを真空パックしていつでも新鮮なまま持ち続けたい)とか(いつか夢でみたような気がする)とか(よい匂い)とか(吹き渡る風)とか、そういう空気感に呆然としていることがある。
そういう瞬間は、実に、現実感がない。
現実の外の世界で、自分が生きていないように感じる。
その瞬間は芯から「自由」な気分になる。誰も邪魔できない、私だけの詩的空間が開ける。
でもそういう至福がなければ、なんのために生きているのだろう?と思う。私はこの至福のために生きているのではないのか?
わりとバシッと叩かれた
「ひょっとしたら、僕も生きているのかもしれない」という気づきの言葉。
このヒヤリとする冷たさが三島由紀夫の距離感で。
突き飛ばされる感じがたまらない^_^
全体に言葉が明晰で、軽やかだ。
耽美なのだけどベタベタしてない、むしろ冷たい。よろめきそうだ^_^
この言葉に酔うと、生きているのが辛くなる。
(ちなみに。
三島由紀夫本人の解説は、良かったです。
「花ざかりの森」は出版社の意向でやむなく選んだのですって。タイトルはいいですよね。でも、「私はもはや愛さない」と言い切っている。
それぞれの短篇をどのように選んだのか書いてあって興味深いです)