うぅむ。
唸る。
『花ざかりの森・憂国』三島由紀夫、新潮文庫。を読み終えて。ぱらぱらと読み返して。やっぱり凄い短編集だと結論した。
三島由紀夫本人が「もはや愛さない」と言い切る「花ざかりの森」を除いて、完成度が、純度が高い。(「花ざかりの森」もキドリ具合が後に続く短編「詩を書く少年」の主人公の少年が書いたような作品で、入れ子めいていて私はオッケー。鏡の中の鏡、みたいで。)
何かで「金閣寺」を読んだ人が、三島由紀夫は人間らしくない、ヒューマニズムが欠けている、と評しているのに当たった。
確かに三島由紀夫はオブジェのような人だ。多作で。行動的で。変化に富む。
彼の物語は、物語としてハラハラする。どういう風に行き着くのか、予想できない。それは物語を語る作者の目が冷静だからだと思う。叙情で綴るのではない、精密に観察して叙事で語るのだ。主人公の胸のうちも語られるけれど、それまでも叙事的!だからこそ読者の私たちは、主人公や情景を即物的にとらえられる。
嘘みたいでしょう?
感情までも即物的に表すなんて。
こういう一見突き放したような方法が、潔癖な印象を与え、「ヒューマニズムを欠いた」という批評を受けるのかもしれない。
ただ。この短編集の中のいくつかを読めばすぐにわかるのだが、彼はまことに人間らしい。最も人間らしい人なのではないかとさえ、思う。激情的と言ってもいい。よくコントロールしていると思う。実験的で技巧的な挑戦もあるけれど、彼の選んだテーマは切実な命題が多い。そして答えは用意されていない(それがまた好い)
彼の言葉の精確さをどのくらいの人がわかるのだろう。なあなあの、ビックワードではない。例えば「愛」という言葉に逃げない。もっと突き詰めた、濃ゆい観察をして、登場人物の独特の個人的な「愛」の書き方をする。いくつもの「愛」がひしめきあっている。その言葉ひとつひとつが。私はピタリとわかる。結構、バシバシ叩かれる。
彼がノーベル賞候補になったのは、この精確さにあると思うし。
海外で評価されるのも、翻訳しうる精確さがあるからだと思う。
この、激情と冷静さを併せもつ才能。
並べ方も絶妙。最後は「憂国」ではなく「月」
忙しい人に、ぱっと三島由紀夫の良さを伝えるには適した本だと思う。
年を重ねるにつれて長編や戯曲に向かった彼は、短編はもはや書かない。重層の複雑な物語は若い頃には書けないけれど、若い頃にしか書けないスケッチもある。若い頃は誰にでもあるし。若い頃に出会う切実な命題は、大事な出会いだ。そういう意味で(本質)の物語で、三島由紀夫を実に身近に感じることができる。
連打されること覚悟で、読んでみたらどうだろう。美しいですよ^_^
ちょっとタイトルだけメモしておこう、自分のために。
花ざかりの森
中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃
遠乗会
卵
詩を書く少年
海と夕焼
新聞紙
牡丹
橋づくし
百万円煎餅
月