待っている、土曜日。

  去年の話。

  自分の(実家)を売ると決めた時、そして実際に引っ越しをする時、結構悲しかった。

  私は四歳からそこで暮らした。

  そこから学校に通ったり、職場に通ったりした。

  途中、大学の学生寮に入ったり一人暮らしをしたこともあるが、帰る場所はそこであった。


  バス停、商店、学校、病院、駅の地下街、公会堂、図書館、保育所、区役所、交番、ローソン、ヨーカドー、生協、歩道橋。

  子供の頃に探検した道、新しく舗装された道、蕎麦屋に行く道、自転車で行くのに適した道、ジョギングコース。

  バラが綺麗な墓地、藤棚のある神社、大きな公園、駐車場、桜並木、イチョウ並木、ファミリーレストラン、ブックオフ、鴨の泳ぐ川、川に続く淵、梨園、畑、施設。


  店が出来ては潰れたり。

  ずっと空き家の庭など。


  小洒落たバイク屋、路上で野菜を売る人、タクシーの運転手さんたちが休憩していたり。


  少しづつ変化しては馴染んでいった、辺境の町に。サヨナラを言う日が来るとは思わなかった。


  そんなに好きでもなかった。

  鎌倉に住みたい、吉祥寺に住みたい、下北沢も楽しそう、、、なんて考えたりもしたけど(実家)が無くなることは考えたことがなかった。無くしてから気づくものなんだ。


  行こうと思えばいつでも行ける、確かにそう。

  でもそれは「帰る場所」ではなく「行く場所」に変わっている


  桜木町や山下公園や中華街。

  行くたびになんだか昔を思い出す。

  デートした人、友達、1人で映画をみたこと。


  なにげなく過ごしていた場所が、微妙にズレて遠くになった

  戻ろうにも戻れない、通過するだけの道になってしまった


  「家」を持とうとする家族の気持ちが、やっと分かったような気がした。

  「帰る場所がある」というのは、子供たちにとってどれだけ救いになるのだろう  

  そこで育った記憶は、こんなにしっかりと私を支えてくれる


  旅先でも。ちょっとだけ住んだ場所でも。

  自分が「特別」と思った場所は、よく憶えておくといい。全身全霊で。新陳代謝でどんなにターンオーバーしても、自分の核によって思い出せるように。

  移動を続ける私たち。

  通過していく私たち。

  今はサヨナラを言う。


  憶えておくのは

  いつか再訪する、愉しみのために。  

  (不思議なのは、特別だと思った場所よりもなにげなく過ごしていた場所の方が、どうしようもなく懐かしく思い出されるということ)