煙になる日。

  その日の朝は、朝霧であった。

  朝霧は、よく晴れた朝に出る。

  川の付近で。夜に冷やされ、朝に温められ、その温度差でおこる。


  このあたりでは、冬になると頻繁に朝霧になる。

  

  その日の朝は、うろこ雲が美しかった。

  陽に透けて、陽に照らされて、色づいていた。

  人魚の鱗のようだった(見たことはないけど!)


  その日は風がなかった。

  朝霧が消えない程度に。


  晴れた午前中、煙になる人がいた。

  (こんな日は、いいね。好い日を選んだね。と話しかけた)


  午後は少し曇りになった。

  暑くもなく、寒くもない。本当に好い日だ。


  葬式に集まる子供たちは、知人や親戚、いろんな人が大勢集まるので楽しかったかもしれない。

  お通夜もそれなりに楽しかったかもしれないけど。晴れた葬式は、儀式めいてよろしいだろう。

  泣いている子供もいる。

  (人が死ぬということを知った、はじめて。)かもしれない。

  人が死んだら、このようにお別れをして、儀式をして、煙にして、皆で見届けるのだよ。

  

  いつもと変わらない朝。

  いつもと違う夕暮れ。


  どうも私は。

  故人のダメな笑い話の方がヤラレル。

  すごく立派だった話や、努力家だったとか、苦労話よりも

  おっちょこちょいで失敗した話なんかで、グッとくる。

  (無口で真面目だったりすると、案外そういう話があるものだ)


  こういう言い方は、不謹慎かもしれない。その人がいなくても日常はすぎていく、その人の代わりも現れるし居ないなりのやり方はできていく。本当にかけがえのないことは、本当に偲ばれるのは、本当に懐かしいのは、その人のおっちょこちょいを笑うことなのではないかと思う。


  死ぬ日の朝、病室で家族に「うちに帰ろう」と言ったらしい。その日の午後、彼は誰も気づかないうちに逝ったそうだ。家族に囲まれて、「あれ、息してないねぇ」と。

  

  本当に慎ましい