リアリティ

  「リアリティ」とか「リアル」とか。

  それ自体が嘘っぽくて、使いにくい言葉だ。ネット用語以前の問題で。


  真実の、実際の、本物の、本当の、実践の、真性の、実感……、そういう意味で使う言葉だ。

  「リアリティがない」というのは、実際にはそういうことにはならなそう、とか。作りモノめいている、とか。シビアな生活の問題が描かれていない、とか。

  「リアルな高校生の発言」というのは、「その」高校生の発言であって、現役高校生の素顔みたいな扱いはちょっと受け入れ難い。

  「リアリティを出すための演出」というのは、見破れた時は、恥ずかしいです。


  私は、知ったかぶりというのは、相当恥ずかしいことだと思います。

  

  「知らない」ことばかりなのですから。


  わかったつもりで、うんうん、と頷きあえることって、ほんの僅かです。

  空が綺麗、薔薇が綺麗、、、実はそんなことばかりで、、、さらに胸に抱く光景もそれぞれに持っていて、、、それは例えこちらが「知りたい」と思っても「知れない」「知りえない」モノです。胸の光景^_^それぞれに持っているから好いのだと思うし。

  

  もっと若い頃は。

  ドキュメントとかノンフィクションとかニュースとか、真実を伝えるものだと思っていた。けれど捏造したりカサマシしたり、わかりやすく数値化したり、グラフにしたり、、、。伝える側がいくらでも、情報を加工したり選んだりできることを、大人になるにつれて実感するようになった。言いたいように、伝えたいように、言葉って、情報って選べるんだな、と。

(テレビや雑誌やネットの情報をそのまま鵜呑みにする人って「大丈夫かコイツ」と本気で思ってしまうし、どう会話してよいかわからない。テレビ信仰?)


  でも。

  ワタクシが言いたいこと、伝えたいことって、そんなにナイ。

  わかってほしいこと、知ってほしいことって、そんなにナイ。


  ただ。

  知ったつもりになって、何もかもわかった顔して、言葉を失くしたくはない。

  諦観はもっともっともっと…もっともっと…もっともっと…もっともっともっと、ずっと先でいい。

  

  自分が一体どんな人間なのか、実は把握していない。ワタクシは時々、突拍子もないことを言ったりやったりする。

  後から、あぁそういうことか、と自分なりに理由をつけたりはする。

  統計的に「コレ、やりがち」もどんどん更新しないとわからなくなる。

  でも、わりと裏切られ続けられている。

  惰性で行動していると「チ・ガーウ!!」と、何処の外国人かと思う程に強く拒否したり。

  「さっきはその気分だったんだけどな」と思春期の気まぐれお嬢様になったり。迷惑な話です。身体や心がワタクシを振り回し、ワタクシがそれなりに妥協しています。


  他人がワタクシを把握するのに、ワタクシらしさというのをどのように抽出しているのか?それも疑問なのですが、キバッタ個性も実態も無く、「わかるものか!私だってわからないのに」と思っている。

  基本的に「⚪⚪さんって、よくわからない」という人の方が信用できる。わかったツモリの人は、私とは関わりのない人だと思う。


  だから、つい。

  「リアリティがない」という作品批判は、ふぅーん。と聞き流してしまう。


  (私たちはファンタジーで出来ている)そちらの方に一票を投じたい

  そういう結論。

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