ルーマニアノート。

  『ルーマニアの森の修道院』を読んで、唖然としたこと。抜粋。以下。


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  野良イヌは町のいたる所にいて、まるで野良イヌ王国のよう。野良ネコも多い。田舎には、ガチョウ、ヤギ、ヒツジ、アヒル、ウシ、ウマが加わる。皆わさわさ、ガヤガヤと暮らしている。特に人間に懐いているわけではなく、おのおのが適当にやるべき仕事をして生きているという感じ。イヌはヒツジを追うのに忙しく、ウシも朝早く家を出て山へと向かう。

  ちなみに山ヤギは人間にはおとなしいけどイヌは嫌いなのか近寄ってくると前足を地面に叩きつけて威嚇する。ヤギが腹を立てている姿は結構おかしい。

          (確かに。腹を立てているヤギって見たことがないかも)


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  ルーマニアの道路はでこぼこ。道を見ればその国の経済状態がわかるように、この社会の仕組みもかなりでこぼこである。どこでも賄賂、笑って賄賂。無賃乗車がばれたら車掌に賄賂。単位のために学生が教授に賄賂。病気になったら医者に賄賂、賄賂なしでは手術してもらえない。

      (賄賂というよりむしろチップ?……わからない。濃厚な人間関係を持っているルーマニア気質と、ほとんどの人々が貧乏なので、賄賂がなくてもナントカ手術してもらえそう。……というのが私の感想)


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  米国に住む友人に、ルーマニアのお母さんから荷物が届けられた。驚いたことに、郵便局を通して届けられたのではなく、友人たちの連携プレーで運ばれてきたのだ!同僚がドイツに行くと聞いたお母さんは、まずその人に荷物を預ける。今度はルクセンブルクに知り合いがいるという人に、用のある際、引きうけて運ぶ。ルクセンブルクの知り合いが機会をみて米国に行くことになって、ようやく荷物は届けられた。郵便局が大事な荷物を盗むかもしれないから、おばあちゃんネットワークを使うのだそうだ。連携途中で「ついでにこれも持っていって」と荷物が加わることもあり、「あ、これは貴方によ。はい、お礼です」と贈りあったりする。ちなみに、場合によっては知人を通さないプレーもある。発車間際の列車の窓際に座る女性に「パリに行きますか?これをうちの息子に渡してもらえませんか?名前はチプリアンでパリ東駅で待ってます」と頼みこんだりするらしい。

         (もしも私がその女性なら断れない^_^母をたずねて三千里みたい)


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  私の好きな記述。抜粋。以下。


  知人のツテでゴボラ修道院へ。とても長い上り坂を登った所にある、小さくて地味な修道院。着いた時はすでに日は暮れ、夜になっていた。門扉が大きく、昔は門番がいて、ウマがパッカパッカ通ったであろうその重厚な気の門扉をドンドンと叩く。オオカミだかイヌだかの遠吠えが聞こえる。ああ、こわ。早く中に入れてくれー!と泣きそうになった。その時中から人の声が。出てきたのはご年配の修道女。「よくきたね」とすぐさま中に入れてくれた。他の修道女のみなさんも出てきて私をぐるっと囲む。修道女は私の顔を両手でそっと包んで言う「見てみなさい、このお嬢さん、はるばるこられて」童顔な私を子どもみたいに思ったのだろう。頬をなでなでされ、愛情たっぷりの歓迎をうけた。でも大人になってもこういうことって嬉しいな。


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  出発前、ブカレストでフォトグラファーのカメラが盗まれた、パスポートを盗られたという情報を小耳にした。お金やパスポートは盗まれても何とかなる……。でもカメラだけは盗まれたら困る。ルーマニアでは日本の高性能カメラなんて売ってないからです。カメラを二つにするか、どう分散して持つか、保険はかけるか。胃を痛くして悩み続ける私に、相棒が言いました「イラストだよ。カメラが盗まれても、君のスケッチが残れば何とかなるかもしれない。君が想像して見えた世界、カメラが捉えられないようなものを描くんだ。もし道行く男が熊みたいな顔をしていたら、熊の顔を。天使のような顔をした子どもがいたら、天使の顔を。君の想像力で描くんだよ!」と私を説得するのでした。「何を言ってるんだろーこの人は。私は素人だよ」と半信半疑だった私。がしかし、自分の頭の中を整理するために描きはじめた簡単な地図やメモに始まって、移動中、待ち時間、修道院での自由時間に、風景をなぞり鉛筆を走らせ集まった手書きの情報がこの「ルーマニアノート」になっていました。

  自分のイラストだけでなく、修道士修道女の手書きメモも入っています。なんだかいい感じのノートに、今ではにんまり。


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  まあ、色々大変だったけど素晴らしかったよ、修道院の旅。見損ねた所も沢山残っているから、また行かなきゃね。

  この充実感、例えるなら夏の暑い日に思い切りプールで泳いだ後の疲労感、満足感に似ている。心身ともにリフレッシュできたし、本当に沢山の人々に助けられた。大きなトラブルもなく帰ってこれたことに感謝!再び今回の旅の玄関口、スタヴォロポレオス修道院の教会へお礼参り。私にとっての修道院は、自分を見つめ直す場所。誰にでも、ひとりになれる時間、静寂の中で考える時間というのが必要だと思う。それをある人はお寺に求めるかもしれないし、ある人は神社の境内に、あるいは自然の中に見いだすのかもしれない。私にピッタリきたのが、たまたまルーマニアの修道院だっただけだ。

 この修道院の旅でいろんなことに気づかされた。気がついた。色々な人生があるものだ。そして自分は自分の人生を生きるしかないんだ。


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  読み終えたら

  ルーマニアが好きなのか、著者のノリカが好きなのか、わからなくなった。ロマも多いし、言葉も難しそうだし、時刻表もない交通機関があるし、……そういう事を全部裏返して楽しめるノリカを好きになった。難しい事を言わないノリカが好き。イライラしないノリカが好き。

  ノリカには現地の言葉で(希望)という意味があるのですって

  

  スケッチブックが羨ましかったので、いつか真似してみたいです

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追記。

読みかえしてみたら、ノリカはルーマニア語で「チャンス」という意味でした。ちょっとだけ違いました。