愛されたい。

  顔というものは、よっぽど裸。隠そうとしても、隠せない。生きてきたことが全部うつしだされる。
  ありのまま「スッピン」がよいとも思わない。赤い口紅を塗らないアタシなんてアタシじゃない!と思うのなら、赤い口紅を塗った彼女の顔が「素顔」自分だと確かに思える顔。
  では「いい顔」とはどんな顔か?造作とは無関係。女性は特に、愛されている状態の顔はいい。男性から、時代から、愛されている顔は輝いている。媚びも少しは必要なのだ、たくさん媚びを売ればベタベタ下品、少しも媚びを売らないのは上品だけど、乾いてカサカサツマラナイ、加減が大事。
  では「どんな顔が好きか?」その人が好きならば、どんな顔も好き。怒った顔も泣いている顔も笑っている顔も。

   ……というようなことを、アラーキーが書いていた。
  うーむ。なんとなくわかる。
  色気イコール水気。確かに生物は水分量あるからね。

  自分の顔を鏡にうつしてみる。
  確かにそう。いつも同じ顔ではない。調子が良い時と悪い時と、全然ちがって見える。
  調子が良い時には目がぱっちりと開いて、ウキウキしている。
  調子が悪い時には、顔全体が重い感じ。


  女神のように愛され顔の女性って、確かにいる。オーラが出ている。「ありがたやありがたや」と思わず拝んでしまいそうになる。何もかも見えて、何もかも聞こえて、何もかも知っているのではないかと思ってしまう。


  前の職場で、ずっと怒られ続けている先輩がいた。耳が悪いわけではないけど、「あ、怒られる」と思った瞬間に防御体制になって、聞こえなくなるのだ。簡単な指示でも、メモを取っていても、間違えてしまう。和やかに話している時にはそんな事はないのに。嫌われたくない、失敗したくないという気持ちが強すぎて、暗示にかかったように失敗する。その人の顔は、見たくない聞きたくない、という顔に変わっていった。
  失敗する➡︎自信がなくなる➡︎さらに失敗する…の悪循環であった。思いつめても良くないのだけど、一気に開き直っても良くない。少しづつ、少しづつ、少しづつ、ジワリジワリと循環を取り戻していかなければ。


  無理矢理に顔は作れない。仮面ではないのだから。

  素顔は波のようにたゆたうもの。許されるもの。愛されるもの。自信に成るもの。

  たくさんの世界をみて、たくさんのものに出会って、たくさんのものを愛したらその分だけ素顔が磨かれる。

結論
  笑顔の練習なんかしなくていい
  存分に怒ったり、泣いたりした方がいい

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