とらえがたいもの。

  いきなり引用する。

  白洲正子『遊鬼』の中で、彼女の師である青山二郎の言葉。
 
「美なんていうものは、狐つきみたいなもんだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、美しいモノがあるだけだ。モノが見えないから、美だの美意識などと譫言を吐いてごまかすので、みんな頭に来ちゃってる」
 
  白洲さんは最初はその言葉が理解できなかった。それから原稿を書くようになって、自分の頭で考えていることの十分の一も表現できない事実を知った時、いくらかその言葉の意味がわかるようになった。「わかる、わかる」と有頂天になっていたら師から冷水を浴びせらた。
  「わかるなんて易しいことだ。難しいのはスルことだ。やってみせてごらん。美しいものを作ってみな。できねえだろう、この馬鹿野郎」
  そう言いながら、傍らのコップを指先で叩いてみせる。
  「ほら、コップもピンと音がするだろう。叩けば音が出るものが、文章なんだ。人間だって同じことだ。音がしないような奴を、俺は信用せん」
  「お前さんは、背骨はしっかりしているが、思想がない。思想を持たなくては駄目だ」ある日、ふと、そういうことを言われた。悲しいことに、当時の彼女は思想と称するものがわからなかった。
 
  青山二郎は、骨董に興味を持っていた。頭で空想して、眼で見ていないと彼女の買った骨董を馬鹿にした。彼の眼は、あらゆる場合に光っており、次から次へと面白い発見をした。古い美術品にはしっかりとした美しい形があり、それを我が物にすることによって、人生の糧とした。物を食べるように骨董を買い、高価な物でも身近に置いて使いこなし、生活の味がつくのを楽しんだ。
 
  日本の焼き物の場合、中国陶器のような確かな形を持っていない。室町・桃山時代になると形は崩れはじめる。茶道が発達し、完全無欠のものよりも、動きのある形が好まれるようになった。欠けたり、歪んだりしていても、ゆとりがあって、自然であれば、何もいうことはない。私たちの祖先は、何百年も陶器とつきあって、そのような物の見方に到達した。人間は不完全なもの、割り切れぬものと合点した。侘び寂びの思想に通じるもので、「楽」と名づけられる茶碗は、まことに的を射た命名。
  彼は「自分は日本の文化を生きている」と言っていたそうだ。
  中国陶器のように、間違いのない人生を送る人もいる。
  それも易しいことではないだろうが、崩れた形をして、人生を生き抜くのは辛いことに違いない。
 
  彼はよく光る眼を持っていた。眼がよく見えることも、辛いことだったに違いない。悠々と遊び続けることも、数奇者として命を懸けることも、辛いことだったに違いない。
 
  私の勝手な実感だけれど、
  美しさというのは逃げていく。
  見えることは、捕まえたことにはならない。
  文化や歴史の中で、閃いているものなのだと思う。
  絶えず変化して、消える。
  
  小林秀雄は「美しい『花』がある、『花』の美しさというものはない」と書いた。
  美しさはモノに宿るかもしれない、が、そのモノ全般(全体)に通じる美しさなんてものはない。限定された、特別な、妖気のようなもの、香りたつ気配のようなもの。とらえがたいもの。
 
  彼等はそれこそ努力して勉強し、感覚を尖らせて鍛えて、耳をそばだて眼を凝らしていただろう。
 
  青山先生は最後の三年間、寝たきりの病人になっていた。白洲さんはお見舞いには行かなかったという。訃報をきいて、ほっとしたという。自分でも不思議であり、申し訳ないと思うが、ほっとしていることに変わりはないという。人は都合のいいものしか見ない、それを弁解しようとは思わないという。
  彼女は追悼会の席で友人からこんな話をきいた。青山先生は人の顔も見分けることができなくなっていたが、ライターに火をつけて「ねぇ、きれいだろ、ほんとにきれいだろう」といつまでも焔に見入って飽きなかったという。ぞっとする。ライターの焔だって、眼に見えるモノ。
  見入っていたのか、魅入っているのか。
 
  
  私は彼等ほどには真剣ではない。
  とらえてみたいと思うけれど、彼等ほどには真剣ではない。
 
  けれど機会は誰にでも平等に与えられていると思っている。
  文化・歴史の流れにあるかぎり、日常や生活に根ざすかぎり、その機会は平等なのだと思う。
  遠くにではなく、近くに。遠い国の話ではなく、遠い昔の話ではなく。生活の中に、日常の中に。どれだけ真剣でも、どれだけ不真面目でも、朝日は昇る。
  抽象と演繹を繰り返す、繰り返す。
 経験を重ねて、忘れて。感じ入って、忘れて。学ぶけれども、初心のままで。心を信じて。
 美が訪れる機会は、朝日が昇るように、皆に平等なのだ。
  
「ねぇ、きれいだろ、ほんとにきれいだろう」
  
  美しさは、神々しく、夢のように消えるもの