一年半ぶりの東京の空
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山間に12家程のの集落で、窯をそれぞれ持っている。川の流れを利用して窯の火を焚き、煙突からは煙が登る。観光客もひっそりと見学している。黙々と働く人、犬と子どもたち、スケッチをする老人。丁寧な庭仕事、小鹿田焼きがはめこまれた壁、山々の合間に。
里には資料館が一つ、休憩食事処が一つ、小鹿田焼きの歴史と誇りが一つ。
変な意味ではなく、パワースポットだと思った。
歴史と誇りの中に生活があって、1人1人は迷いながらも充足している感じがあった。(私は外側からしか見ていない。確かにそう。隣の芝生は青い。確かにそう。
だけれど、羨ましくなるほど落ちついていて、楽しそうに忙しそうにしていた。つまらなそうな人も疲れきっている人もいなかった。仕事は本来、そうしたものだ。うまくいかないこともある、面白いことばかりではない、緊張しながら自分を賭ける、積み重ねである、時間差がある、評価される、対価をもらう。そのような健全な仕事の在り方であったように思う)
芸術的な焼物職人。仕事人。(仕事をする為に生きている、その感じが羨ましい)
仕事をする為に生きたい。
誰かの為に生きたい。
いろいろと学びたい。
尊敬できる人に出会いたい。
私はよい人間になりたい。
まだまだ迷っている
臆病なのか。わからないことばかり。
東京は懐かしいと思うけど、切ない感じはない。
評価される場所なのだ、人も物も。いくらで売れるのか、値段をつける場所。
東京に何がある?
小鹿田焼きも売っている。望めば買える。お金で買える。
私は何が欲しいのだろう