ひとりある記。

  高峰秀子『巴里ひとりある記』新潮社、2011年。を読んだ。
  五歳の子役からずっとスター女優。こだわりのある美しい人。言葉もよくわからないのに、27歳で単身パリに飛ぶ話。写真、イラスト付き。
  
  私は成瀬巳喜男監督の『浮雲』の彼女しか知らなかった。
  随分とダメな男を好きになっていた。それで別れられないのだ。
  二人でゆっくり歩くシーンなんか、…もう!…夢に出そう。
  暗いし。
  なんでこんな映画作れちゃうんだろう、と思ったものだ。誰がどんな風に同情したり憧れちゃったりするんだろう??娯楽でもないしね。
  もしも同情してしまったら……想像して自分の将来が少し怖くなる。そういう少しのリアリズムが良いのでしょうね。
カッコイイから罪なのです!
(カッコイイ、と思わない人は、堅実な人生が歩めるはず。それはそれで羨ましい)

  彼女が本を出しているのはなんとなく知っていたけど、実際に手にとったことはなかった。
  読んでみたらサッパリとしていて気持ちがいい。
  なんにもせずブラブラと遊んでいたらしいけど、ずっと働いてきて注目を集め続けたのだものなぁ、自分一人で(ホームステイ)生活するのも大変に刺激的だろうなぁと思う。
  なんかもぅ、楽しそうだった^_^
  日常のアレコレ。ギャルソンの観察。マヌカンの観察。夜遊び。美術館。ファッションショー。カフェ。レストラン。往来の人々の様子。お店の人とのちょっとした会話を書いていたり。
  澄まし顔の写真も多いけれど、いい笑顔の写真も多い^_^

  そしてこれは独身時代なのですね。
  たくさんある著書の中で、一番最初の作品。書きたいことを書いているから読んでいるこちらも楽しいんだなーと思った。
  それで女優・高峰秀子から距離を取りたかったのが、よーっく、伝わってくる。
  (自分に自分を返してもらった)とか、
(高峰ではなく平山で通してくれる心遣いがありがたい)とか、一般の人にはわからぬ苦労が滲んでいる。

  後の方に対談があった
「べつに関係ないんだ、誰にも。あたしもこういう仕事始めて二十年になるでしょ?そのあいだ、ただ働いてただけなんですよ。自分の何かってものがひとつもないの。女優さんのイノチなんか短いし、あたしもやっぱり、もうこれっくらいのもんでしょ?いつかはやめるものだし、やめないまでも、所詮はあわれっぽくなっちゃうんだ、女なんてものは。長い間女優してたけどなんにもないってことが、やっぱりつまらなかったよ。センチだけどね。旅行でもなんでもいい、人間一生の中で思い出みたいなものがひとつあればいい。そう思ったの」
  輝かしい経歴の中で、本人はそんな風に思っていた

  「あたし、いやんなっちゃって」このセリフ似合うんですけど、もう、なんか痛々しい。
  そして「だからべつにフランスまで行かなくてもよかったの。たとえばチャーチル会で絵を描いていたってよかった。だけど、あすこへ行って自分だけの楽しみで描いていようと思っても人はそれをさせないもの。写真とりにきたり、ガサガサ、ガサガサいうでしょ?そんな些細なことまでさせてくれない。海外に逃亡するよりほかないじゃないですか」と続いた。
  フランスまで行かなくてもよかったのか、、、、。
  悩める一人の女性の思い出づくりの本だったのか、、、、。
  
  あとがきに
  「……これを読んでくだすった、私のお友だちのみなさん、私のパリのひとりある記は、淋しいこともあったのです。
  でも楽しいことを人にあげる方が、私は好きなのです……」
  という一文があって。
  私はこういうのも弱い。
  そりゃあ、毎日毎日楽しいことばかりじゃないよね。風邪ひいて寝てることもあったしね。最後の最後で、こっそり告白するように告げられるとキュンとする。頑固でひねくれ者なのだと言いつつ、どうして真面目で素直な可愛いお嬢さんじゃないの。
  この一冊で、私は彼女が大好きになってしまった。

  旅行記を読み始めたつもりが、なんか絡め取られちゃった感じ。
  彼女の目を通して、パリという街は、このうえなく自由でのんびりとしてキラキラと輝いていた。