叱りかた、叱られかた。

  誰でも叱られるのは嫌だと思う。
  けれど耳に心地よい言葉だけで、日常を通すことはほぼ不可能。大人になって叱られることが少なくなったからこそ、若い時には持たない緊張感がある。叱る方にも叱られる方にも、人間性が問われるのではないだろうか???

  プライベートで友人から叱られるのは全て愛情。受け入れようと思う。
  ……思い返して、友人に叱られたことってあったかな?……最後に喧嘩したのはいつだったかな?……耳に痛かった覚えが殆ど無い。(…これは幸せなことか不幸なことか???今、戦慄している)

  プライベート以外。仕事上では、叱られたり叱ったりは結構ある。
  
  叱られ方のポイント。歳上の人ならとりあえず受け入れる。自分のポリシーがあったとしても受け入れる。一旦、受け入れる。
  シュミレーションしてみて出来るかどうか考える。出来るなら上手下手関わらず実践してみる。出来ないなぁ、と思ったなら、自分の出来ない理由を考える。ポリシーとそぐわないとしても、前向きに(出来るために)必要なことを考える。叱った人に相談するのが早い。叱った人は、それなりに自分のやり方をみて怒っている訳だし、責任もあるだろう。これは〈考え方〉の話ではなく〈実践〉の話。それぞれに考えることはあるだろうけど、与えられた仕事をこなす為に〈筋道〉はあっても〈考え方〉は必ずしも必要ない、終えた仕事があれば良い。散漫な考えは共有しなくても良い。

  ポイントもう一つ。何故叱るのか想像すること。
  言葉以上に解釈すること。
  (叱る)のは、注意したりアドバイスしたりするのとはレベルが違う。
  即座に!正したい時に!絶対してはいけないことを!反射的に知らしめる為に!叱るのである、、、、。何故そのように早急なのか、想像する必要は多分にある。
  
  (どうかハライセとかヤツアタリとかサカウラミとかビョーキ等の「悪意」ではありませんように。
  私は個人の趣味嗜好を仕事に持ち込んでおりません。個人の性質は個性かもしれませんが、不愉快な程度ではないと自負しております。なるべく効率的に。なるべく全体をみながら。なるべく愛想よくしているつもりです。
  どうか私個人に対する攻撃ではありませんように)


  だから自分が下の人に注意する時も、個人攻撃にならないようにすごく用心する。
  言葉はものすごく選ぶ。同じことを違う言葉を使って繰り返したりする。相手がちゃんと聞いているか確認する。向上をはかるために話していることを理解してもらいたい。自然、時間がかかる。
  話の内容ばかりでなく、声のトーンや高さやスピードも大事だ。相手を萎縮させないように気をつける。
  
  返事はいいんだよね、皆。
  わかってなくたって返事はできる。

  わかってもらいたいのだけど。

  わからないならわからないと言ってほしい。
  
  それで相手には(クドイ人)とか(アツイ奴)とか言われちゃうんだよねー。
  
  同じ仕事してて、企業目的は一緒のはずなのに。違うやり方をそれぞれが確立してしまって、ケースバイケースとか、統一とか、歩み寄りとか、…何故できないんだろうね。
  
  注意して、気持ちよく成長向上する人は、こちらもまた注意してあげたくなる。
  注意する方だって気を遣っているのだ。成果が無い人にはもう注意したくなくなる。話が通じない人といくら話しても通じないし、話をしていて気持ちいい人なら、いくらでも話せるのと同じことだ。
  ちゃんと話を聞く人は、ちゃんと応える。
  (御指導ありがとうございます、と素直に応えられたら完璧。
  感情的に怒っている人に対しても、スッと入る言葉ではないかな。
  皆の前で叱られたりすると、混乱するし恥ずかしい。道で転ぶようなもの^_^相手を立ててへりくだりつつ、どこか膝に付いた砂をパンパンと払い落とすような清々しさがあって。良いなと思う)

  ちゃんと叱られることができる人は、ちゃんと叱ることもできるだろう。
  
  (あんまり叱られたくないけど)叱られ上手になって、上手に叱ることのできる人になりたいなぁ