鴨たちが食事していた。オシドリはいなかったけど、群れていてもやっぱり夫婦ペアで行動するんだねーなんて、妙に感心していた。
水紋が広がっていく様、水面に空の色が映る様、綺麗ですなぁ。
車の中にいたらわからないけど、橋まで出てみたら鳥たちの鳴き声がよく聞こえる。風の音も。
夕方にそれを聞くと、懐かしく切ない気持ちになる
(↑豆粒のような水鳥が見えますか?)
☆
……残念ながら両方ともなかった。
…それで、高峰秀子主演の『銀座カンカン娘』はあったけれど、今はこれではない。
オーバーオールで笑顔でポーズをとってる高峰秀子のパッケージの写真をみて(これではない)と確信する。
やっぱりよかった。とってもいいね^_^
適齢期の娘を見合いさせたりする家族の物語なのだけど、もどかしくていい。
私は原節子の良さがいまいちわからないけれど、それを差し引いても嬉しくなるほどいい映画だった。
小津監督の独特の、もってまわった挨拶や付き合いのやりとり。「暑いでんな」「ほんまに今日はえろぅ暑いでんな」とハンカチで汗をぬぐうおじさんたち。浴衣(着物?)に着替える中村鴈治郎の所作。扇子で扇ぐ人々。うちわで扇ぐ女たち。うず巻きの金鳥蚊取り線香の煙。蝉の声からヒグラシの声に変わる京都・大阪の風景。登場人物が暑い暑いと言いながら話は進んでいき、暑そうだなぁーと思ってみていたら不意に秋になった。
娘たちが結婚を決めて旅立つのも、誰かが死ぬのも、怒ったり泣いたり笑ったりするのも、面白がったりつまらながったりするのも、あっという間で夏から秋に変わるようなものだな、と妙に納得した。
私が昔の映画を愛するのは、この不鮮明さなのです。
現代と比べたら、画質や音声は落ちるのかもしれないけど、影が濃くて、声がよく聞こえる。
暗い廊下の百合が強く匂うように。
女優にスポットライトを当てればいいという訳ではない。
目を大きく輝かそうとする女優は美人かもしれない。でもソッポ向いて下を向いてる高峰秀子はカッコよかった。葬式に来た杉村春子が故人を冗談にくさし「ほんま兄さんらしいわ」と言いながら急にボロっと泣いた姿がカッコよかった。その場にいた家族全員が何も言わず、パタパタと扇いでいた扇子を、ゆっくりと、止めた。
静かで、役者の呼吸の音まで聞こえそうだった
静か、といっても、無音の訳ではない。
ちゃんと生活の音、風景の音はある。
泣き出す一歩手前のような静かさ、そういうもの。
何年経ってもみれる映画には、そういう静かさが必ずある。
間違えないでほしいのは、泣いている役者の姿をみたいのではなく、泣かない(泣けない)役者の姿がみたいということ。
「泣きたい」訳ではない。
暗い廊下に、気配を感じるような
いきいきとした映画がみたい。