高く跳ぶ人々。


生きる


生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと


生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと


生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ


生きていること

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと


生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ


                           ー谷川俊太郎


  …私は小学生の時にこの詩の朗読をした。

  といっても、学年全体で。

  一行づつ、次々と、子どもたちが暗唱する。そして〈いま生きているということ〉は全員で詠う。

  

  なんだったか。六年生を送る会とか、合唱コンクールとか、そういう体育館の行事で。父兄も参列する行事だった。子どもたちは、親に聞こえるように声をはりあげた。クラスごと詠うフレーズもあったし、男子女子に分かれて詠うフレーズもあった。

  私はコマしゃくれた子どもだったけど、それなりにいいなと思った。今自分が父兄として参列していたら感動して泣いてしまうかもしれない。

  もしフレーズを選べるとしたら〈くしゃみすること〉か、〈それはプラネタリウム〉がいいな。

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  ……なんでこんなことを思い出したかと言えば、ソチオリンピックのスノボの競技をみたから。

  高く、クルクルとまわる選手たちをみて。単純に感動したから。

  細かいルールはよくわからないけど、(楽しかった)(おもしろかった)と答えたいい笑顔の若い男の子をみたら、あー良かった、と気持ちよくなったから。

    皆で応援したり、技を競ったり、讃えあったり、生きている喜びだよな。


  ☆


  確かバンクーバーのシーズンで。フィギュアの日本代表選手を選ぶ年末の大事な大会で 。

  最終滑走者の真央ちゃんのフリーの曲が途切れ途切れになり、無音状態が続き、また途切れ途切れに流れ、アナウンサーが黙ったことがある。

  誰のミスかは分からない。

  選手は極限緊張状態のはず。

  会場は手拍子で応援した。

  私は勿論真央ちゃんを応援していたのでハラハラした。やり直しを主張してもいいのでは?と思っていた。

  そのまま演技終了した。

  インタビューでマイクを向けられても、音響のことには一切触れず、いつものようにアスリートらしい反省をした。

  感情表現だって点数のうち。曲がないまま滑るのって、心許ないのではないかと思う。一言も、音響のおの字も出さない真央ちゃん、言い訳しない姿がかっこいいなぁと感動した。

  いつだって(明日は……)とか(次は……)という言葉で締めくくる。変わりばえしない試合後の言葉をいつだって私は楽しみにしていた。

  ふと気づいた。もう真央ちゃんの(明日は……)(次は……)という言葉は聞けなくなるのか、と。

  泣いても笑っても、この舞台は節目。

  愛子さんもそれは同じ。

  是非、いま出来ることを精一杯やってほしい。永遠には続かないいのちを。燃焼して。楽しかった、おもしろかった、と言えるように

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  (ソチは怖い。テロが怖い。戦争が怖い。怖くてあまりみていなかった。)

  でも楽しそうな人々がテレビに映って安心した。スポーツなのだから。

  いきなり応援し始めたワタクシであります^_^