いちばん簡単な解決方法は、お金だと思う。
万国共通の、変換可能な、価値基準。
「いくら時間をかけても」より
「いくらお金をかけても」の方が説得力がある。
それはお金を払って人を雇えるからだ。時間は買えるけれど、時間をかけてもお金は生まれない。
例えば、遺産を遺すこと
例えば、父親が年頃の娘に贈り物がしたいけれど娘の喜ぶモノがわからず、コレで好きなモノを買いなさいと小遣いを渡すこと
遺したモノで、渡した額で、愛情は計れないはずなのに、何故だか納得させられたりする。
これだけ貯めた
これだけ遺した
これだけ苦労した
これだけ想った
計れないはずなのに、
お金って、大事だ。
でもなんと言うか、お金に変えられない価値基準を持ちたい。
( …そう信じたいから、騙されたりするのだろう)
つまり、お金以外のモノを差し出したい
お金を差し出すのがいちばん簡単なら
考えて、想像して
お金以外のモノを差し出したい
困っていますか?
寂しいですか?
楽しくないですか?
美味しくないですか?
ハッピーな時間を持つこと、ハッピーな気分を共有できること、それが何もかもの「解決策」だと思う。
よ〜〜〜く考えて。
それはお金で買えますか?
お金で買えないモノもある^_^
牛柄の猫は、ネズミをとって来て玄関に供えてくれる。
「ネズミをあげるね♥︎」というメッセージは、果たして猫にとって有効なのだろうか?