愛のカタチを慎重に語る。

  YouTubeで昔の「日曜美術館」をみていた。「幻想の王国  澁澤龍彦の宇宙」
  人形作家の四谷シモンさんが案内人で、様々な芸術家や文学者が澁澤さんについて語る映像でまとめている。どんなにすごいことをした人か語るよりも、お通夜の思い出話のようだった。「ある時あんな風に言ったらこんな風に言われた」と、皆が優しい笑顔で話していた。

  「会う前はね、あの人、あの黒眼鏡でパイプなんか持っちゃって、書くモノもサドでしょ、嫌いだったの。暗いんじゃないかって。でも会ってみたらね、明るい人よ。甲高い声でね。よく朝まで飲んで騒いでたよ。…ある時、結局アンタは誰がいちばん好きなんだと訊いたワケよ。そしたらスワンベルクって答えるの。あーんな甘っちょろいの。ずいぶん議論したねその事でも。でも「好きなんだ!」って言い張るの。あの人のいいところはね「好きなんだ」と言い切るところ。
  …三島由紀夫が自殺した件でもね。俺たちは全く納得してなかったの。態度が曖昧だって。土方巽とね、わざわざ夜中に北鎌倉まで行ってね、詰め寄ったワケよ。そしたらものすごくね怒って「三島は俺の友達だ!」って言うの。友達になったらトコトン友達で、最後まで守ろうとする。俺たちは何にも言えなかった。
  あの人にいつか言ったことがある「お前、小林秀雄みたいになれよ」って。そしたら周りにいる俺たちも有名になれるからって。でもあの人はメジャーにはならない。あえてマイナーなんだ。好きな事しか書かない。それで好きになったら、もう圧倒的に好きなんだ。仕事って変わっていったりするじゃない?あの人はニンゲンが好きになったらトコトンだから、仕事が変わっても好きなんだよ。そのニンゲンが好きなんだ」と語るのは池田満寿夫さん。

  「ますます(人生は夢)という観念が私を支配するようになった。自分が奇妙なオブジェになったようだと、後の事も考えず楽しそうに笑っていた」と語るのは池内紀さん。喉頭癌で呼吸をするために喉に穴を開けたあと、声を失っても筆談メモでこんな事を言う。「首吊り自殺はもうできない」
   精神性をオブジェに置き換えて、生が夢に近づいて、夢が作品に近づいた。面白い仕事をした人だと彼は言う。幸福な人だ、と。すごい人だ、と。

  「ニンゲンはね、何かを愛でるように本来できているのです。鉱物だったり、植物だったり、動物だったり、時だったり…そういうのが愛。
  僕ね訊いたんですよ(澁澤さん、神様って一体なんなのでしょう?)そしたら(シモン、虫みたいなもんだよ)って。澁澤さんはね、永遠とか抽象的な事を言わないんです。僕ね、でも(それだ!)って思いましたよ(虫みたいなもん)って。今もつくづくとそうだなって思いますけど」と語る四谷さん。

  番組のバックで流れる北鎌倉の踏切の音が妙に生々しく感じられた。
  四谷さんは先導者のように思っていた澁澤さんの話を、少しも記憶と違えないように、慎重に言葉を選んでしていた。番組のためにというのではなく、四谷さん自身のために。自分のために。
  その慎重さを好ましく思った。


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  今、お通夜をしています。

  今までありがとう
  楽しかったね

  可愛いいもんね
  ビーちゃんがいちばん可愛いもんね

  美味しかったねシーチキン
  高く飛んだね

  悪いコだったね
  いいコだったね

  頑張ったね
  偉かったね

  いいシッポだったね
  たくさんお話ししたね
  一緒に寝たね
  もうナデナデできないね
  また何処かで会おうね
  きっとね


  夕方4時過ぎ、呼吸が大きくなったり小さくなったりしたので、アレと思った。
  ちょっと足をバタバタとして、声もたてず、のけぞるようにして、止まった。苦しいのか、息ができないように感じるのか、大きく呼吸をした。
  しばらく。
  ポロポロと涙が止まらず、無闇に話しかけるのも可哀想で、ちょっと触る程度でいた
  「ビーちゃん、終わったの?」と訊いた

  そしたらビクンと動くので、笑ってしまった!
  死後痙攣。ナデナデしていたら、カァーっと口を開けたり、手足や胸が動く。
  ゲラゲラと笑ってしまった^_^

  生きてるみたい

  般若のような形相になった。硬直すると嫌なので口を閉じさせて、目を閉じさせる。
  …しばらくして見てみたら、また般若になっていた^_^

  のしのしと歩き、ふてぶてしく睨みつけ、倒されても叩かれても果敢に立ち向かってきたビーちゃん。

  いつまでも私の宝物だよ


  笑いながら撫で続けた

  

 

  ☆

  本来「愛」というものは、「一方的に愛でる気持ち」なのだと思う。
  流行歌のように、「愛」という言葉は様々な解釈がされるけれど。はかることもできず、触れることもできず、それぞれがそれぞれのやり方で、それぞれ「愛」している。言葉では覆いきれない程に。

  身近に起きた死を笑うことは、不謹慎だとは思わない。
  大往生は笑って終わるべきだと思う。
  寂しいけれど
  
   猫のいない部屋に帰るのは寂しいだろうな

  こうして見てると寝ているみたい
  嘘みたいだけど、触ると硬く冷たい。

  生々しく具体的な死のカタチ
  曖昧で全てを許す優しい愛のカタチ