感情の行方。

  「身体は、魂の入れもの」いう考え方がある。意識至上主義というか。輪廻転生。身体と魂は別物として捉える。

  「感情は機能である」と考える人もいる。喜怒哀楽は、身体の機能。生存していく為に、脳内に、その場しのぎで生まれた機能だと言う。
  光を感じること、音を聞き分けること、五感で判別する能力は太古の昔に別々に発達させた機能だ。そういう別々に感じた「現実」を、私たちはパッチワークをつむぐようにいびつに、「物語」として織り上げる。脳が身体に言い聞かせるために理由づけする、ということ。
  言ってみれば。
  脳⇆感覚機能の間に「意識」があるように脳に思わされているという説なのだ。脳⇆意識⇆感覚機能。意識によって身体をコントロールしている、という錯覚。

  脳が死んでも、身体が死んでも、感情や意識は死なないのかといえば、そんなことはないと思う。
  まぁ。感情や意識が鈍くなれば、脳や身体の機能も鈍くなる。
  脳や身体の機能は皆さん高めようと努力するのに、感情教育は疎かにするね。
  前向きなマインドコントロールの話ではなく、もっと喜怒哀楽を、という論旨。
  
  意識は高めるものではない

  もっと光や音を感じること。闇や風を感じること。熱や冷たさを感じること。

  怒るにしたって、すんごく怒るのか少しだけ怒るのか、笑いながら怒る、泣きながら怒る、静かに怒る、色々です。
  頭から怒るのか腹から怒るのか、足元からフツフツと怒るのか、冴え冴えと怒るのか、一気に怒るのか、じんわりと怒るのか、、、様々なバリエーションがあり複雑な「物語」がある。
  
  私だけの感情がある。