汚染地域に住む人、公害が原因で健康を損ねた人、差別を受けたことがある人、裁判中の人、、、
ボランティアの人、行政の仕事の人、、、。
普通に現役のバリバリ仕事人たちは環境問題は後回しにします。
「なんで?私は何も悪いことしていないのに??」
過去の世代がしてきたこと、未来の世代に託すこと、、、現在の私は忙しい。
ギクリとする瞬間もあるかもしれない。このままではヤバイんじゃ、、、?
現状を現状として正しく知覚しても、解けそうな気がしないので「問題」として理解できないのかも。散漫に、デンジャーやリスクとして認識されるのかも。
過去→現在→未来、、と繋がる「問題」ではなく、バラバラに知覚しているのかもしれない。
解けそうな気がしない問題にとりかかるのは、誰しも億劫です。
目の前に問題が山積していたら、とりあえずできそうな問題からとりかかる人は多いですよね^_^私もそうです。
頑張ってみるけど、時間ギレになるかもしれない、、、慌てた誰かがやって来て、私の代わりにやってくれるかもしれない、、、。
「でもできるだけは、頑張ってみた」
「なんで?私は何も悪いことしていないのに?? 私の生活を変えて、私の時間を犠牲にして、環境問題に取り組まなければならないの??」
「なんで?なんで私が?」
自分が悪いと認めることは辛いことだ。
罪深い存在だと認めることは、教育されてきていない。
水が汚染されたら、、、水を買えばいい?
水は雨であり海であり地下水です。雪にもなる。野菜にもなる。魚にも鳥にも動物にもなる。いずれ全てが汚染される。
消毒すればいい?
ニンゲンだって60%以上、水分なんだよな。
資源なくして生活できないということを、実感として持てなくなってきているのだろう、都市で富を扱うエコノミストは。(エコノミストとエコロジスト、語感は似ているけれど)
土や水や固形燃料を消費して循環を考えない。
自然の恩恵を受けるばかりで還元しない。
そういった直線的な成長ではなく、円環的な成長を遂げるべきだ。
量は要らない、必要な分だけとって、後は返そう。欲深は罪。
ちょっと試算してみよう
「問題」を「解く」には、地球が生き残るためには、資源を枯渇させないためには、
その漂白は必要なのか?
その無効票の行く先は?
その戦争はどれだけ汚染を招くか?
そのカーストは?その無気力は?
その贅沢は?その偏見は?
その自由は?