唄は誰のものでもない。


  はてなブログから通知がきた。
  記事中に、あるバンドのある曲の歌詞の一部を引用したので、それが問題だったようである。

  記事の削除を求められた。
  一週間以内にその記事を削除しなければ、ブログ自体を非公開にしますよ、とのことです。

  一応削除したけど。これで良いですか?はてなさん。
  
  もしも他にも削除しなければいけない記事があれば、自動的に私のブログは非公開になるかもしれません。さようなら皆さま。
  (こんな終わり方、なんか不本意だ)

 
  私は記事中でその詩を汚した訳ではなく、「感動したいくらかを伝えられたら」と思い、記事中に登場する友人の思い出と分かちがたく、日記に毛が生えたブログなもので、世の中にはさして影響も与えないだろうけど、、、

  やっぱりしてはいけない事だったのだろう。引用って難しいですね。
  (勿論、盗作はマズイ。リスペクトしてたってマズイ)
  
  ではアレってどうなんだろう。
  本を開いて本編の前に書かれる、献辞とかエピグラフとか。
  

   …それくらいの位置なのでした。私にとって。

  それが無ければ私は存在しなかった


  …その事に対して感謝しているのです。
 つまり、感謝なのです。

  
  ☆

  このブログでいつかジンジンタロウさんの記事を貼り付けた時に。
  ジンジンタロウさんに「事後承諾ですいません」とお知らせした時に、
  彼はものすごく寛容にも「言葉には著作権はないと思っています」とコメントしてくださった。
  哲学のように詩のように言葉を繰り出すジンジンタロウさんですが、言葉は誰のものでもないとおっしゃる。

  確かだ、と私も思う。
  だから私は言葉を信じていないのだけど、だから言葉を使うのだ。

  キモは気持ちとか真意にあって言葉にはナイ。だから使える。

  伝えたいのは気持ちとか真意で。だから言葉を工夫して加工して使う。時を置けば変容していく。

  

  記事を削除しろ、というのは簡単だし
  記事を削除するのも簡単だ
  ブログ自体を非公開にするのだって簡単だ

  でもその時その記事を書きたかった私は、ナイーブなのです。
  気持ちを捕らえたかったから。

  
  「私の言葉や記事を使いたい」という人がいれば、アゲアシトリでない限り、寛容になりたいと思う。本来「私の言葉」なんてものはない。いつか誰かが発したものだ。私が発見した言葉なんて一つもない。

  
  いつかくるりの唄を歌った木村カエラさんに、多分あまりにヨカッタから(?)岸田さんが「その曲あげる」と言ったらしい。
  私はその場にいた訳ではない勿論。
  でも、いかにも言いそう、と思う。

  言葉は誰のものでもない
  唄は誰のものでもない

                          ……と思う!