チェコ好きさんという方がおられるのですけど。
この方の、愛の溢れる批評が大好きである^_^
生理的にすごく納得する。
中でも、フィッツジェラルドに関する記事は何回も読んだ。
特に好きな記事↓
この二つの記事は、明らかに冷静さがトンでいます。感動し過ぎて、越えちゃった感じです。
普段から興味のあることしか書かない、自分目線でしか書かない方なのですけど。愛が溢れすぎて、零れて、したたっております。
〈すごく好きである〉ということは、とてもとても滑稽なのです。
ブログを読む楽しみは、独自の目線を体感することにあると思っている。
「号泣しながら書いた」とある。迫力がある。
日記のように手紙のように軽やかなブログも大好きだけど、それなら、日記や手紙でも構わないのだ。
号泣しながら書くことの熱情を想うと、その特別さを大事にしたいと思う。
☆
映画「華麗なるギャツビー」をみた。
監督制作脚本 バズ・ラーマン
2013年。
いいですねぇ。
ディカプリオの不幸は、童顔にある。
少年青年時代のスラリとした自身が、自身を邪魔しているように思う。
かっこいい訳ではないのにかっこ悪い役が様にならず、中年なのに童顔が邪魔する。
それでも!成金の中年を見事にかっこ悪く演じていて、流石ディカプリオ!
そうそう。この人は演技は達者なのです。小指にデカリング、ピンクのスーツ、似合っております。
それでもどーにもエンディングが気に入らない。
映画が小説世界を全て表現できるとは思っていないけれど、…ギャツビーは、ギャツビーは、ギャツビーは、こんな風には終わらない。
ロバート・レッドフォード版のギャツビーを無性に!みたくなった。
好きだったはずだけど、何がそんなに好きだったのだろう。
私はギャツビー的なファンタジーが大好物なのだ。
恋しい女性は夢のようで
捧げるもので
過去は美しく
主人公は不器用で純粋。
叶わぬ恋は美しくみえる
夢はさめるもの さめない夢はない
夢からさめる方が健全なのだけど
夢を見続けたいと願う人もいる
それは悪いことではないはずだ
☆
今日、ホン・サンス監督の映画を二本みた^_^
「自由が丘で」加瀬亮主演。2014年。
「ソニはご機嫌ななめ」チョン・ユミ。2013年。
↑これらもねぇ。
ラブストーリーなのです。
ギャツビーほどコッテリとしたファンタジーではないけど、女性に対して夢をみていて、痛々しくも爽やかで、なんか頑張ってほしい感じです。
ホン・サンス監督。
今日初めてみたのですが、一人で映画館でみれて良かったなぁ、と思いました。
一人で昇華したい監督です。
俳優陣がのびのびと自然に画面に現れるので、白昼夢のようで。幻をみているようです。
ギャツビーと対極にある夢ですね。
忘れがたい夢と、
忘れてしまいそうな淡い夢。
はぁ〜、
いいですねぇ〜。と思うけど、なかなか説明できません。
とにかく映画の王道はラブストーリーだ!!と強く意識したのであります。ラブストーリーでなければ映画らしくない。
そして日常生活においても、バカみたいに誰かを、バカみたいに何かを好きにならなきゃダメだ!!と思ったのであります。
日常生活に支障が出るくらい、自分が無力な存在と思いしらされるくらい、それくらい心を震わせなければ、生きている意味なんてないのではないか。
心が傾いて
どうしようもなく好きになってしまう経験を
私たちは欲しているし
そういうものに出会いたいのだ
そうでなければ意味はないのだ
と、目を閉じます