私たちは幸福で不幸だ

 若い人と話しているとツマラナイ。
 条件反射だな、と思う言葉ばかりで。
  ものすごく雑。
  雑すぎる。
  ハスに構えてるのがカッコイイのかわからないけど(もっと頑張れよなー)と思ったりする。
  彼らからみれば、私なんて中途半端なツマラナイ大人なんだろうな。





  だからといって大人と話せばツマラナくないか?といえば、そうでもない。
  説教。教訓。自慢。
  惰性。
  放物線をみるようにわかりきった結論。

  彼らからみれば、私なんて中途半端なツマラナイ子供なのだろう。

  
  ☆

  
  中途半端な余暇を愉しむ。
  
  湖の底に沈んだ村の小学校を眺め、墓が朽ちるのを眺める。

  「美しい」の上には「とても幸福だ」があるらしい。
  整然とした図形と比べて、蜘蛛の巣のイビツさや、歪みは模倣できない。
  ピカピカでツルツルの美しさよりも、ぬくもりを感じるような美しさの方が、複雑で不可解で余韻がある。
  夕陽を見ながら口からついて出た唄や、
  涙をこらえて無理した笑顔や、
  言葉につまってそれでも出た言葉は、
  ありきたりの美しさではないからだ。

  だからとても「幸福」とはかけ離れた状態でも
  心がとてもヒンヤリとしても

  ヒンヤリとしたからこその「美しさ」がその先に待っているのではないかと勝手に思っている。
  寒がりの人や暑がりの人、差はあると思うけれど。
  いつか唄いだせるのではないかと思う。
  ありきたりではない幸福の唄を。


  自分のことを幸福でも不幸でもないと言い切るような人は美しさがわからないのでは?と疑う。
  雑で惰性で鈍感なのでは?と。


  私たちは幸福で不幸だ