ゴールデンウィークの読書。

  
  この作品は1992年に出された中編小説なのですが、この度、再読いたしました。

  若い頃に読んだ時には、わかったつもりであんまりわかってなかったのかな、と思います。今現在もわかったつもりでわかってない部分も多いと思われますが。
  ぱらぱらと読み始めたら「真剣一気読み」になりました^_^
  良い読書体験をさせていただきました。ありがとうございます^_^
 
  あらすじ。
  主人公のはじめくんは12歳の時に島本さんと出会う。島本さんは足が悪く引っ越して来たばかりの同級生だった。二人とも一人っ子で(その当時は珍しかった)、家が近所で、放課後にレコードを聴いたりして過ごした。お互いに惹かれあうけれど、中学から次第に離れていく。
  36歳になって再会する。
  一度別れた人とまた愛し合う話。

  はじめくんはすでに家族を持って幸せに暮らしているけれど、島本さんを特別に想っている。島本さんは謎めいていて連絡先や近況は語らない。
  島本さんは雨の夜にバーにやってくる。

  主人公は物語の後半で、妻の有紀子に告白する。
  「…僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった。どれだけまわりの風景が変化しても、人々の語りかける声の響きがどれだけ変化しても、僕はひとりの不完全な人間にしか過ぎなかった。僕の中にはどこまでも同じ致命的な欠落があって、その欠落は僕に激しい飢えと渇きをもたらしたんだ。僕はずっとその飢えと渇きに苛まれてきたし、おそらくこれからも同じように苛まれていくだろうと思う。ある意味においては、その欠落そのものが僕自身だからだよ。僕にはそれがわかるんだ。僕は今、君のためにできれば新しい自分になりたいと思っている。そしてたぶん僕にはそれができるだろう。簡単なことではないにしても、僕は努力して、なんとか新しい自分になれるだろう。でも正直に言って、同じようなことがもう一度起こったら、僕はまたもう一度同じようなことをするかもしれない。僕はまた同じように君を傷つけるかもしれない。僕には君に、何も約束することができないんだ。…」

  (致命的欠落こそ自分自身)というのは随分と悲観的な言い方だけれど、実感としてよくわかる。足りないから埋めたい、足りないから越えたい、足りないから求める。自分の原動力のことなのです。
  はじめから整えられていて核心(確信)があって約束可能なことであれば、それ程には求めないのです。約束はそれを守るために、自ら誓うこと。できることは約束する必要なんかない。できるかできないか、自ら奮い立たせる為に、相手に対して自ら誓うのです。
  「足りないと思う自分」を埋めてくれるのが島本さんなのであれば、島本さんでなければ埋まらないワン・ピース。ジグソーパズルの他の部分はもはや、島本さんの為だけに用意された周辺に過ぎない。どんなに幸せな家庭を築いても、完璧な仕事をしても、虚しい。
  
  好きだった人々が自分をつくっている。
  別れた人々が自分をつくっている。
  失ったものから自分はつくられている。

  もう一度別れた人々に出会ったり
  失くしたものをとりかえせる機会があればどうだろう?
  その可能性のためだけに生きていくことも、有りそうな話だ。

  物語は、島本さんが実在しているようにも読めるし、実在していないようにも読める。
  どちらであるかは、読者に委ねられている。
  
  
  ☆


  『ダンス・ダンス・ダンス』や『ノルウェイの森』の後に出された作品であるにも関わらず、随分と率直に真摯に書かれていて、生々しいです。
  デビューしたての作家が、全部ぶちまけたような迫力があります。
  わかる人だけわかればいいという切羽詰まった正直さで、とても個人的な、1対1で向き合うような親密さがあります。
  
  私自身はこの1対1の親密さは、小説ならではの仕事のように感じ、正しい正しくないは別にして尊いもののように感じます。

  ある批評家がこの作品は「文学的な後退」だと評価したそう。文学的な成長とか発展とか展開って、作者にも読者にも関係ない話のように思われる。より複雑で、より転換不可能な表現を使った文学的な作品は、言葉をより曖昧にしてしまう。作者はより正確に伝えたいと思い、読者はより正確に読み取りたいと思っているはずなのに。言葉の率直さは、必ずしも文学的後退ではない。

  そして、個人的過ぎて文学的ではない、という批評も同意しかねる。個人的物語だからこそ小説であって、不特定多数の人々にもわかるような平坦な物語はそもそも非小説的だと思う。
  どれだけ個人的であっても良い。必ずしも個性的である必要はない。

  ☆

  この『国境の南』は、再読して私の好きな作品となりました。
  36歳になってから読むと読み方が変わるような気がします。
  時間をかけて出会うものというのも、読書の楽しみの一つであります。

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  ガツンとやられてしまったのでさらに短編集を読みました。
  『24stories  めくらやなぎと眠る女』新潮社。2009年。

  目次
  めくらやなぎと、眠る女
  バースディ・ガール
  ニューヨーク炭鉱の悲劇
  飛行機ーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか
  鏡
  我らの時代のフォークロアー高度資本主義前史
  ハンティング・ナイフ
  かいつぶり
  人喰い猫
  貧乏な叔母さんの話
  嘔吐1979
  七番目の男
  スパゲティーの年に
  とんがり焼きの盛衰
  氷男
  蟹
  蛍
  偶然の旅人
  ハナレイ・ベイ
  どこであれそれが見つかりそうな場所で
  日々移動する腎臓のかたちをした石

           …ふーん、品川猿で終わるのか



  (「眠る」とか「眠い」とか「かえるくん」とか「納屋」とか入らないのか、、、「トニー滝谷」意外といいなとか、、、、つづく…