なるべくこだわりを持たずに、シンプルに真っ直ぐに向きあいたいと思っている、全てに。
どんどん忘れても構わないと思っているし、どんどん変わっていくのもいいなと思っている。
と同時に。
忘れていたのに思い出したこととか、昔から変わらないことなんかに気づいて、ハッとしたりするのが好きだ^_^
そういうことなのでパラドキシカルだけれども、思い出すために忘れてしまいたいのではないか、変わりたくないからどんどん変わっていきたいのだと思うのです
動物病院で「あと一週間」と命の宣告を受けた猫と暮らした。
なぜか命が眩しかった。
細く痩せてヨロヨロしながらもシーチキンを美味しそうに食べたり、布団に真っ直ぐに近づいてきたり。重み。温かみ(熱)。呼吸音。
なんだかイビツで不安定なその健康が逆に眩しかった。
生きているのが嘘のようであった。
だから、生きているうちから不在を感じて哀しくなった。
だけど確かに生きていた。
生きていることが答えであった。
猫は死んだその瞬間から、どんどんと加速度的に死んでいった。
(生きている時から少しづつ死んでいたけど。口から死の匂いがしていた。小腸が閉塞していた)
時間と共にどんどんと「生き物」から「物体」に変容した。固くなって冷たくなった。身体はあるのに全く生きていない。それは確かなことだった。
生きていないことが嘘のようであった。
埋葬してから。しばらくは不在が幻のようだった。気配はなんとなく感じてしまうので。残像のように。
死体は勿論すでに無い。だけどいないことが嘘のようであった。
会えないからこそ会いたいと思うのだし。
いたからこそいないことを寂しいと思う。
生きているって、そういうことだな。
愛しさって、そういうものだな。
http://sprighascome.hatenablog.com/entry/2014/06/28/224611