アレの境地。

  日曜日の昼間に車の運転をしていた。

  いつものトンネルを抜けたら、紅葉がやけに眩しくてボンヤリとしてしまった。

  特別な紅葉スポットでもない。山の中といえば山の中だけど、全く期待していない道で「ぱあぁあぁ〜〜〜」っと絶景が広がると驚く。

  こんなに綺麗でいいのか?単なる道路なのに。

 

  カズラが蔓延っているからなのかもしれない。

  良い感じでグラデーションになり赤に黄色にオレンジに。薄い緑や薄い黄色も加わり、大木あり巨木あり若木あり、車窓に映る。壮大なオーケストラのような紅葉が、坂道を登るたび、トンネルを抜けるたびに現れては飛んでいく。

  ぅう、眩しい…!!

 

  もしかして白内障か…?

                                 いやいやいやいや^_^

 

  ドラッグやる人は瞳孔が開いて風景がやけに美しく見えるらしい。

  NHKで老人の幸福度数は意外と結構高いという内容の番組があったけど、感覚としてはこの「紅葉トンネル」に近いのかもしれない。

  世界から一歩身を引くと、実際の感触とか興奮は無いにしても、全体が輝いて見えちゃったりするんじゃないかなー。。。

  世界に属していると必死過ぎてしまうというか。いつ死んでもいい、という境地まで行くと焦点が外れてしまうのではないか。

  

 

  ☆

 

  老人同士の会話で

  「ほら、アレなんじゃったかいね〜?」

  「あんたが言うのはアレか」

  「アレじゃわからんわ」

  「ンマー、なんとなくわかるからイヤだわ」 

  「わかるんかー」

  「うん」            、、、みたいなのに遭遇すると倒れそうになる。

  本当にわかってるのか?わかりあっているのか?

  多分お互いに「なんでもいい境地」に達していて。それって会話する意味あるの?

  イヤ。意味とかじゃなくてもう呼吸みたいなものなのか。自然すぎるのか?

  悟りを開いたホトケ様がお二人いらっしゃる、、、、

 

  もちろんボケているのではないですよ^_^

  こういう関係性は、世界に感謝して満足しきっていて人好きな人同士でないと現れないです。

  隠居、やたらに楽しそうだな。。。。

  世界をほうけて(呆けて、もしくは惚けて)眺めたら、一瞬を走馬灯のように感じて真理に気づくのかもしれない。

 

  フェルディナント・ホドラーの絵画の展覧会に行った時に、ダラーーーーッと突然に泣けてしまった経験がある。今思えば、生も死も自然も時間も全部が見えたのでした。

  画家の眼って凄い。

  輝いているようだった。死ぬ瞬間ってこんな感じだろうかと思ったのでした。

  

  しかし「アレの境地」は視覚だけでなく聴覚や味覚、嗅覚、触覚なんかもぶっ飛んじゃうんだろうな。

  身体能力は若い頃よりガクンと落ちるだろうけど、その分脳が色々な周波や分泌液やホルモンを出すのだろう(←超憶測

  

  隠居老人、楽しそう^_^