めんどくさ!


  唐突に、結論は来ない。

  継続的にやって来る、何事も。


  生まれて育って、出会って別れて、今に至るワケですから
  唐突に・劇的に何かが変わるワケはない。

  間違える事もある、もちろん。

  間違えても、まぁ、「間違えた」と思わなきゃいい。「のぞいてみた」とか「散歩」とか。

  素敵な道ばかり辿る人もいれば
  裏道ばかり辿る人もいる

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  「内定」を頂きました。
  20日までに、卒業証明書と履歴書を人事課に提出するよう文書で頂きました。
  先日、マークシートの一般常識(60分)と事務技能試験(60分)と役員面接を受けたのですが、なんというかウンザリします。大学生の時、就職活動にウンザリしていたのを思い出します。
  こうやって人の能力を測るのですね…。
  
  大学のホームページにいき卒業証明書を得るための手続きをしようと思っています。履歴書も書こうぞ。仕方ないなぁ!

  大学生の時だって、レポートの書き方を誰も教えてはくれなかった。
  面接に有利なメイクや所作なんかも、誰も教えてはくれなかった。
  (身につけておくべき)(常識的な)(あたりまえの)事なのです。
  (使える奴)だと思わせるために
  (得する奴)だと思わせるために
  密かに練習しておくべき事なのだろう。
  カラオケで恥をかかないために一曲は練習しておく、みたいな事。

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  自分を好きだったらいいのに、と思う。

  自分を好きだったらこんなにウンザリしないだろうな、と思う。



詩人になった先輩。


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  大学のゼミの先輩が「詩人」になっていた。Wikipediaに本名で載っていて、写真も相応に歳を重ねていた。

  そのゼミはアメリカ現代詩のゼミだった。
  卒論必須&春と夏の合宿アリの、わりとちゃんと研究する部類の体裁のゼミだったのだけれど、なにせ「アメリカ現代詩」ちょっと飛んでる感じの人が集まっていた。
  卒論のテーマはボブ・ディランとかヒッピー文化とかブコウスキーなんかが多かった。ビート族は外せません。ギンズバーグ、スナイダー、ウィリアムズ、バロウズ、…、研究しても「だから何?」と後ろから詩人達にドヤされそうだ^_^

   合宿していても夜中に騒ぎ過ぎて先生が「静かにしろー!」と怒鳴りこんでくるようなゼミ生達であった。
  先輩達の約3分の1がカンニングして落第していた。
  私達の代は卒論提出に約半数が間に合わなかった。
  落ちこぼれではないハズなのに、純粋な私達は「自由」に毒されてしまったのだろう。。。。
  いつだって先生は目をキラキラとさせ詩について語っていたけど、私達はどよ〜んと侵食されていた。先生がアガれば、私達はサガっていた。

  職業詩人のその先輩は、先生と同じく、目をキラキラとさせていた。
  そういえば学生の身分の頃から「現代詩手帖」という雑誌に原稿を寄せていた。誰もそれをスゴイコトとして扱っていなかった。
  
  今、思えば。
  彼は優等生すぎた。
  彼は批評ができるけど、パフォーマーとしては軽かった。もっと経験値の高い人ばかりで、彼の言葉は上滑りだった。
  観念でしかなかった。
  

  他の先輩達や同級生の卒論発表は、もっと独走的(独創的ではなく)だった。
  大概、先生に怒られていた。
  肩をすくめてやり過ごしていた。

  一体、何を学んでいたのだろう??

  
  ある意味詩を体現していた先輩達は、今はどうしているだろう?執筆活動を続けてらっしゃるだろうか?
  ……恐ろしくもある。。。

  そうして批評が上手な先輩は職業詩人となった。
  研究者や教育者ならともかく、詩人??
  ……それもまた恐ろしい。。。。

   本当に詩を望むところの人には評価されないだろうなー
  詩は、望む人のものなのに。

  
「この先、仕事がなくなることも、家がなくなることもあるだろう。
  だが、ここに綴った風景達はきっと僕を殺したりしない」と書いた又吉直樹さん。
  (言葉は自分を救うものではなく、)
 言葉は自分を殺さないものなのではないか

  なんというか、下着くらいの役割しかないと思う。

  
  

snow walk

  (そういえば昨日、雪まじりだったな)と登り始めて思い出した。
  山には雪がつもっていた。
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  私は関東育ちなので、つい雪を喜んでしまう^_^
  午前11時頃だったので、ぽたぽたと雪の溶ける音があちこちから聞こえてくる。
  奥の方で、トシャーっと枝から雪が滑り落ちる音もする。

  半分溶けた雪の道は、ズシャズシャという音をたて、
  まだ溶ける気配のない雪の道は、カシュカシュという音をたてる。
  滑ると(間違いなく雪だ)と思われて、雪をホクホクと実感する。
  何故だか、雪が凍りついたシャーベット状のモノによって滑ると、若干腹立たしい。雪で滑るのは良くて、雪の氷で滑るのは良くない。
  
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  雪化粧。キラキラ光っておりました。
  湿度も高めで肌も喜んでおりました。

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  山頂。見晴らしが良い^_^
  途中の山道からもてっぺんにいる人が見えるらしい。
  途中で私が追い抜いたオバちゃん達が、帰り道で会った時「さっき見えたから手を振ったんよ」と仰っていた。私は気づかなかったけど、是非、手を振り返したかった!
  このオバちゃん達、割烹着で登っている。(靴はそれなりのを履いている)
   たまに笛を吹く(多分、熊よけ)
  山口ではオバちゃん達が散歩がてら山に入るけど、この「割烹着で登山」って結構珍しいのではないか??
  「オバちゃん」と言っても推定65〜75歳。この辺りの老人達は元気なので、「おばあちゃん」と言うには80くらい。
  
  
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  小鳥ちゃんもたくさんいた。
  エナガヤマガラが集団していた。
  とても可愛かった^_^

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  隣に小川が沿っていて水音が良い。
  
  あまりキツくない割に癒やされ度は高め。
  雪道は、いつもより慎重になる。
  雪道は、音が楽しい。
  
  

もっともだいずなこと。


  もっともだいずなことを見失わなければ大丈夫。

  もっともだいずなこととは、自分が何をやりたいか?ということ

  (誰かの為に)でもないし
  (世間的に)とかでもない。

  いい学校に入ることでもないし
  いい会社に入っていい給料もらうことでもないし
  いい結婚をすることでもない

  何を学んで
  何を成し遂げて
  何を残すか、…ということなんじゃないかと思う。

  仕事で成し遂げた人は、自分がやりたいと思った事が個人的なやりたい願望だったとしても、結果的に社会貢献になっているだろう

  学問で成し遂げた人も、個人的な知りたい欲求から始まったとしても、結果的に社会貢献になっているだろう

  結果的にうまく収まるハズなのだ

  

  生きて死んでいくだけ、、、という人はいない

  食べて消化して、熱が生まれるハズなのです

  
  自分がまず幸せになること
  そうでなければ、誰かを幸せにすることなんかできない


  今日は節分

  鬼は〜外!
  福は〜内!


  だいずなことは、外側ではなく内側にある!

  ^_^


  
  

夜に聴く




  朝型か夜型か?と聞かれたら、自分は真夜中型…、と思う。

  シャキッと朝に起き出してパパッと仕事に出かけて夕方に待ち合わせてオツカレーなんてビール呑むけど。
  
  喧嘩して一人でお酒なんか呑んでたら、じわっときてしまう。

  そんで怒りながら風呂に入って音楽とか聴いて、
  カッカしたり、しゅんとしたり、旅立ちたくなったり、友達に電話したくなったりして真夜中をやりすごす

  んで最終的に音楽に結論を出してもらう

  真夜中の私が本当の私。

  昼間や夕方に会う人でも、つい真夜中の自分がはみ出して出て来てしまう人というのはいるけど。

  ブログでもたまに真夜中の自分がはみ出してます^_^

  本当に泣けることがありますか?
  

  涙活とかって、ききますけど

  私は「愛」とか「死」でないと泣けない。
  それしか泣く理由はないだろう

  「愛」も「死」も身近にある。

  

    そんな風に皆ガンバって生きてるんだな、と思うと、そういうのも涙に変わったりする^_^

  とにかく、真夜中にほどけてます


    ほろほろに


  




ふと思い出す




  ↑サイモン&ガーファンクルのこの曲

  子供の頃、作詩の課題で「僕は石だ」という詩を朗読した男の子を思い出す。
  大人しくて、身体が大きくて、のんびりした子だった。

  ひねくれて自虐的でもなく、周りの友達に牽制する訳でもなく、
  淡々と自分の事を石に喩えた。

  自分は無口でおしゃべりをしない、
  動きもノロい、
  でも「硬い」んだ、…という内容だった

  強い、とか、動じない、とかじゃなくて「硬い」というあたり
  自己表現としてアッテイルなぁと思った。

  サイモン&ガーファンクルは、友達なんか要らない、本が自分を守ってくれる、みたいに唄っているけど
  聴くたびに切ない

  その純朴さも、守るべき自分も、
  かつて私自身が持っていたものだからだと思う。

  石だった男の子は、どういう大人になっただろう
  
  砕かれたり磨かれたり加工されたりしても、その「硬さ」は保っているだろうか



  砂のようになっても硬かったら、逆に変幻自在で良いと思うな^_^

  

隣の人

  連日の報道で、あの型にハマった映像やオレンジ色を目にすると滅入る。


  「同じ日本人であるから」という前に、「人が人を処刑する」という行為に嫌悪感を持つ。


  Hさんがどんな人であろうと

  (たとえ軽はずみの考えなしで渡航したのだとしても)

  処刑して、晒し首のようにネット映像で流す行為に耐えられない。

  

  尊厳も何もない。

  暴力の最たるものだと思う。

  埋葬することも無いのだろう。


  異国の地で捨てられてしまうのだ

  大きな後悔と、屈辱と、羞恥の中で


  物のように扱われ(人質)、脅されて怯えて、耐え難い痛みの中で死んでいくのだろう


  ニュース報道の度に私は滅入る。

  中にはモザイク無しの映像を見つけてきて見せる人もいる、ワイドショー的気分なのだと思うけど、

  グロテスクな映像を好奇心で見てしまうのだろう。

  自分は関係ない、とスパッと線を引く。

  友人知人が外国旅行したりしないのだろう。

  ものすごく対岸の火事なのです。

  怖くないんだなぁー。


  私は怖い。

  YouTubeもオレンジ色も、

  Hさんのブログも。

  無視できない、けど

  見守るしかできない、のも。

  

  対岸にいる人ではなく

  隣にいる人のように感じる


  フランスは多勢がテロに反発してデモ行進していたけど、イスラム国にもフランス出身の人がいる。

 国籍って何だろう

  身内と敵って何だろう

  (すでに宗教の域を超えているだろう)

  


  何より暴力が恐ろしい

  ぶっ殺すしかない、ぶっ壊すしかない、という発想が恐ろしい

    

  暴力から、用心深く隠れるしかないのか?

  隣の人がふらりと出てしまって、

  その人の軽はずみを指摘して、運がなかった残念だったと諦めるしかないのだろうか?

  

  最期の瞬間、どんな事を思うのだろうか


  憎むのだろうか


  

  (死ぬしかない)と思ったとして正義ですらない

  自殺ではなく処刑、というのも辛い。

  

  尊厳はない