いつ頃からフォローし始めたかは、記憶にない。
(女性が単身で島に移住してヤギを飼っている、旅する人でエンタメ系ドキュメンタリー、小豆島)という認識だった。
彼女と小豆島の地元有志で獣肉の加工場をつくるクラウドファウンディングに寄付したりした。しかし腰を据えて著作を読んだことはなかったのだ(『世界屠畜紀行』を流し読みしただけでした)
このたび自分の胸にしこりがあるのを発見して、非常に慌てた。乳がんかも!と疑った途端にズシリときた。死ぬのはまぁ仕方ないにしても、苦しむのが嫌だ。あと10日です、と言われるならまだいい。3年も5年も闘病するとなったら嫌だ。治るならまだ頑張れるけど、治るかどうか五分五分みたいなのも嫌だ、諦めがつかない。乳がんかぁ、、、、とため息をついたのであります。
検査の結果、がんではなかった。
それはまぁ良かった。
乳がんについて考えるキッカケを頂きましたから。ピンクリボン、、、ふーん…、という自分が少し前のめりになった。検査の結果、悪性の人もいるわけだから、自分の結果に喜ぶのも控えるけど。気持ちに寄り添うことができたらなぁと素直に思える。
4度の手術、治療の副作用、シリコン。それでも働きながら自立して、すごくかっこいい。
「美しく死ぬ闘病記ではなくて、逞しく生きていくがん患者のリアルを知りたい」という私の欲求に完全にマッチした。ものすごい親近感。闘病記として手に取ったのは間違いなかった『身体のいいなり』は、それ以上のものだった。もっと上から目線だった。「たかが乳がん」そう言い切る。、、、、…そ、そうかー。どうせ死ぬもんね、深刻になったり治りたがったり感動したがったり闘病日記を読みたがったり、してる方がアレですよねー^_^はは。
「たかが乳がん」…それはそれで興味あるぞ。一気に読んでしまいました。乳がん以外のことがたくさん書かれていて、で、それはそれで思わず納得、生きていくことを考えるのでした。急がば回れ、結局自分なのだと。
それはそれとして。『世界屠畜紀行』の副産物のように思っていた『飼い喰い 三匹の豚とわたし』岩波書店、2012年。続けて読みました。
泣いてしまった。号泣です。泣かせるなんて思わなかったのに。。。
文字通り、内澤さん自身が豚を飼って出荷して食べるというドキュメント。養豚業の方は「犬を飼うようなもの」というし、内澤さんはあえて3匹に名前を付けて可愛がり、個性の違い等を記している。今では庭でヤギや羊や鶏を飼わない。家畜を食べるために殺すことってなくなった。家畜は家畜、ペットはペット。そういう禁忌にも迫ります。
本当に先入観なく体当たりするので、読めてしまう。結局、こういう気持ちは一人一人のものなので結論めいて書かれていないけど、考えさせる想像させるだけで十分なのではないか。
世界屠畜紀行の方で、何故日本は屠畜業者は差別されているのか?みたいなテーマがあったけれど、ヒトは生きる為に家畜を飼い食べることについて正しく罪悪感を持つ為には?というテーマがあったように思う。
内澤さん自身の気持ちの揺れも十分書かれているし、結論めいて書かれても「おっとぉー」と思うと思う。
可愛がった動物を殺して食べる。自分が生きるためだとはいえ、ひくと思う。そこをあえて「美味しく食べてあげよう」というスイッチは何処にあるのだろう
これも内澤マジックで、結局、テーマを読むつもりが内澤さんに共感しすぎて内澤さん自身を読んでしまったのかなぁ…、と。
しかしやっぱり時間が経つと。それなりにテーマが立ってくる。
内澤さんは自分の言葉で自分の経験を語った。それは痛みを伴い、感謝や尊敬も込められている。サバサバと、生きているように見えるかもしれない。
好奇心で。好奇心のままに。
言えない言葉を、言えない気持ちを表したいとしているのではないか。
ありきたりに完結させるような人ではない。
自分の言葉を、自分の気持ちを真っ直ぐに表したい、といのが伝わってきて、そういうのがあまりにも不器用で同情する。
……テキトーに、できないん、だろう、なー
その不器用さ故、読まずにはおれないんだと思います。
真っ直ぐに屈折して^_^