猫が訴える声は切実です。この世の終わりのように。世界でたった二人の生き残りのように。
ヒトに対して猫が望むことはごく限られたささやかなことです。
切実なあおんあおんの後に、うつむく素振りなどされたらどうしますか。
猫が正しくて自分が間違っているような気分になります。
私は灰色猫にとって単なるシモベであります。
エサを出すヒト、外に出すヒト、外から入れてくれるヒト、水を足すヒト、、、それ以上でも以下でもない。
常に女王様のようにロイヤルな雰囲気であおんあおんと鳴きたもう。
「ワタクシ、帰ってまいりました」
「何処に行っておじゃったか。わらわは外に出たい」
「さぁどうぞ。お出かけになりたければ」
カラカラ。戸を猫の目の前で開けてやる。
猫、しばらく外を眺める。
「…何やら水で濡れておるぞ。外に出たら濡れてしまう」
「それは『雨』と呼ばれるものでござりまする。ワタクシにはどうする事もできませぬ」
「何をいうか。このうつけ。濡れておっては出られぬではないか」
「ワタクシではどうにもできませぬ。雨は降るのでございます」
「オシッコできぬではないか。散歩ができぬではないか。見回りもできぬではないか」
「トイレはあちらに備えてあります。外出しなくても、あちらで用足しできまする」
「外は濡れておるではないか。オシッコできぬではないか」
「雨はどうにもできませぬ。出るのですか、出ないのですか」
「濡れておるではないか。濡れておるではないか」
と言いつつ、短時間で(多分オシッコだけして)帰ってくる。
帰ってくるけど、また外に出たがる。
「わらわは外に出たい」
「雨でございます」
〜繰り返し〜
あまりひどく雨が降る時には、室内の猫用トイレで用足しをする。粛々と。
しかし雨が降るたびに「外が濡れておる」と鳴く。『雨』を学習しない。流石、猫である。雨が降るたびに「外が濡れておる。出られぬので何とかせい」である。
無防備に寝っ転がる猫に、猫吸いする。
湿度が高いのと、猫の毛の生え変わり時期であるので、顔に猫の毛がつく(それでも吸いよせられるように、猫に顔をうずめる…)
猫は気だるげに寝そべる。
「雨が降っておりまする」
「雨とは何ぞや」
「外が濡れて仕方ないことでございます」
世界でたった二人しか居ないような気分になって、猫を吸い込む。