猫は流れていく。

 「猫好きは猫全般を愛す。犬好きは自分が飼っている犬、またはその犬種を愛す」
  …という文章をみかけ、
  「そーだ!そーだ!」と強く思った。

  よく「猫か、犬か?」みたいな議論が巷でおこるけれど、猫好きと犬好きで大きく違うのはソコかもしれない。

  犬が愛想良く「遊ぶ?遊ぶ?」とこちらを見る姿は、猫好きにとっても抗えない魅力の一つ。拒めない。
  それはそれとして、私個人の生理としては、犬って割と「怖い」
  吠えられたらどうしよう、噛まれたらどうしよう、と見知らぬ犬に出会うたびに警戒している。「遊ぶ?遊ぶ?」とこちらにコミュニケーションを求めていたとしても、私自身は「怖い」と認識していることもある。つまりビビリーなのである。「きゃー」と言ってしまう。

  その犬の飼い主は勿論怯えないだろうし、例えばレトリバーやドーベルマンを飼った経験がある人はそこまで怯えないのではないか。

  もし私だったら、例えばチワワとかポメラニアンでも吠えられたら怖い。
  例えとしてかなり間違っているかもしれないけど、6か月くらいの赤ん坊に近い。勿論かわいくて抗えないのだけどギャン泣きされたらビビる。子育て経験のある女性はそこまでビビらず対処できるだろう。可愛いけど意思疎通ができず、個体として接するしかない。その子特有の癖や個性があって、全般的に言えることは一般論でしかない。いくらかでも経験があれば恐怖は薄まるのではないか。「犬らしさ、犬としての特徴」に基づき、犬個体の個性を見抜くことができる。
  犬経験のない者にとって、犬玄人っぽい対応をする。

  一方。
  猫というのは猫という総体なのである。
  猫は猫。それが前提。猫らしくても猫らしくなくても、どちらでもいい。猫でありさえしたらオッケーだ。
  猫好きからすれば、太っていても不細工でも運動神経が悪くても声が悪くてもネズミをとらなくても、猫は猫だ。優劣はない、猫は平等。もっと言えば、一匹の猫を愛する人は世界中の猫を愛していると言っても過言ではない。

  猫と親しんだ経験がある人はAC(after cat)猫は猫。猫を総体として捉える。
  それ以前をBC(before cat)6か月くらいの赤ん坊と変わりなく、可愛いのはわかるけど同時に意思疎通の叶わない不可思議な存在でしかない。限定的に捉えている、誰かの家猫とそれ以外、という風に。

  ACとBC、両者は明確に区分できる。

  猫に親しんだ経験がある人ACならば、その猫の個性などぶっ飛んで、自分の持っている猫のイメージにすぐさま繋がる。過去の猫たちに。
  猫を通して、様々な猫に出会う。

  喫茶店に白猫の写真が飾ってあれば、出会ったことがなくても「うるっ」となる。かつてこの店で昼寝していた白猫、お客様にも動じず皆に愛されていて、多分15年ほど生きていたのだろうなぁ、と一瞬に想像する。
  道行く猫に挨拶するけれど、ノラなら「へん」とされて見向きもされない。過酷な日常を思って心密かに応援する。そしてその自由さに憧れる。
  漫画で親しんだ大島弓子さんの諏訪野チビ猫。擬人化されているから可愛いのではない。サバ猫もぐーぐーも、大島さんの観察によってより家族のようなかけがえのない存在として描かれているので感情移入してしまうのだ。
  猫ブログを熱心に読むのもそう。
  猫本を読んで号泣してしまったりする。

  よその猫を通して、過去に出会っている猫をみている。よその猫なんだけど自分の猫のように感じてしまう。
   
  猫のふいに遠くをみる感じとか、明日はもう会えないかもしれないというきまぐれな感じとか、一期一会の偶然さとか。
  複雑で微妙な間合いがまた、その手触りを残し。
  「猫というのは集合体であって総体なんじゃないか」と私に思わせる。

  勿論、猫にも個性的な奴はいて。相性の良い猫とそうでない猫というのはいる。村上春樹のエッセイを読むと面白おかしく書いてある。猫ブログを熱心に読むのだって、実際にその猫のファンだからだ。猫の個性は認めているつもりだ。
  それでも猫は猫というだけで、無闇に猫好きからの注目を集めていると思う。
  それは犬好きの犬に対する注目とも違うし、6か月の赤ん坊とも違う気がする。

  猫好きは、猫ならなんでもいいんだと結論する。
  道でも映画でも小説でも写真集でもエッセイでも、目ざとく猫を見つけ猫に注目する。
  つい猫カレンダーをめくってしまう。
  犬経験のある犬好きは自分ちの犬が限定的に好きなのであって、よその犬本とか違う犬種の犬ブログとか、猫好きほどは注目しないような気がする。猫好きと比べると、ですね。それは個体として家族の一員としてみてるってことだと思うのです。

  ハチ公は銅像にもなっていてスゴイです。ひいては芝ファンが増えるけど、それはフレンチブルドッグとは関係ない話なのです。
  
  猫はもっとメタファー的。記号的。
  「猫ってなんかいいんだよね」と明文化しない場合、「インドってなんかいいんだよね」と言う人に似ている。
  その国の良さをナンバリングしてカテゴライズして明確にできない人の方が、よっぽどわきまえているように感じられる。インドらしくイメージしやすいものはたくさんあるけれど、なかなかその良さを言葉で伝えるのは難しいですよね。
  通じる人にだけ通じればよい。

  犬は勿論良い。お利口だし芸もするし役に立つし愛想もよい。
  猫はオシッコが臭いし好き嫌いするし無愛想だ。それでもなんかいいんです。BCの人にはわからないだろうなぁ。