犬の名はジョン

…去年ぐらいから急にこの犬、耳が遠くなって、目もよく見えなくなってきちゃったんです」

 と話しだして、そこで一回話を切って、ぼくたちの顔を確かめてから、

「で、この犬、ぼくのことを絶対に好きだから。

 こっから先が、うまくわかってもらえるっていうか、信じてもらえるかわからないんだけど。

 ぼくは、ぼくがいなくなっちゃったから、この犬ジョンていうんだけど、ジョンが自分で何か聞いたり、見たりする必要がなくなった、ていうか、そういう意思を持たなくなってきちゃったと思ったんです」

 と、ここでまた一回休んで、こういう誰もが納得するとは限らない話をするときによくする笑いをつくって、

「ぼくはそういう風に考えているから」

 と言って、まだつづきを話しても大丈夫か確かめるように見てから、話をつづけた。

「人は見る必要があるから見て、聞く必要があるから聞くって。

 たとえば、ぼくが家にいると、犬はぼくがいつ自分の方に来るかって、足音を聞こうとしてるでしょ、いつも。逆に、そういう注意がなくなってくると、いつも働かせてる耳も使わなくなってくるじゃない。

 で、春ぐらいからほとんど聞こえなくなっちゃって。

 だから、家に帰って、毎日一緒にいることにしたの。

 そしたらね」

 と言って、それまでのどちらかというと無表情な顔つきから一転して、

「ホントに、耳も目もよくなってきたんですよ」

 と、にっこり笑ってみせた。


…信じてしまう人間だけが信じてしまう、それはもう事実性からどうこういう話なのではなくて、話す側と聞く側の意思だけで意味とかあるいは意味に近い何かを与えていく話で、ぼくはそういう話がすごく好きなのだ。


保坂和志『プレーンソング』