火渡りしそこねた。

  高野山開創1200年、らしい。


  真言宗弘法大師・空海。


 近くのお寺で、火渡り祭りがあるらしいときいたので行ってみた。

 誰でも参加できるときいた。俗気にまみれた住職に背中をポンと押され、五、六メートルの焼けた道を歩くらしい。御利益はあるのか?ときいたら、まぁ、経験だね、やることに意義があると言われた。火傷しないか?ときいたら、ちょっとすると言われた。俗気にまみれた住職なの?ときいたら、うん、と言われた。


 行ってみたら終わっていた。終わっていたけど、火渡りではなく、三年前から風呂敷護摩に変更したとのこと。焚いた護摩を風呂敷で包んで、患部に直接かざして御利益をいただくらしい。


 火渡りは準備が大変だし、人もそんなに集まらない。と住職が話してくれた。やっぱり祭りって地域に根ざしてないとダメなんだ。お布施が集まらない。


「 11月に防府市の国分寺で、もっと大掛かりなのをやるよ」と親切な人が教えてくれた。そちらに期待することにする。出来ないと思うとやってみたくなるものだ。私のイメージはポリネシアンな火渡りと、俗気にまみれた住職だったので、ここにきてグッと神事めいてきた。御利益がありそうだ。


 「俗気にまみれてそうな住職だったけど、彼、何かしたの?」とコッソリきいてみる。

  地域の人と喧嘩してるらしい。本人は昔のことは水に流して腹をくくっているつもりらしいが、どうも今風なのだそうだ。山寺の、不良住職がみれたので、まあ、ヨシとした。


 お坊さんもいろいろです。


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