今はどこの国でも信用通貨(多分)
輸入したり輸出したり。貨幣を為替相場でやりとりしています。大丈夫かアベノミクス、大丈夫かオバマ政権。物々交換していた時代は、遠く昔。
江戸時代の物価について考える。
全体に油やロウソク、傘などの工業製品が高く、外食を含め食べ物の値段が安かった。
四文イコール100円、くらいの感覚か?
浮世絵、32文。
見世物、24文。
風呂屋、8文。
木綿一反、600文。
下駄、50文。
番傘、200文。
蛇の目傘、500〜800文。
西瓜、40文。
沢庵大根、15文。
鮨(握り寿司)一個、8文。
鰻飯、 100〜200文。
納豆、4文。
天婦羅蕎麦、32文。
串団子、4文。
ところてん、60〜70文。
居酒屋(酒一合)、20〜32文。
煙草(14g)、8文。
歌舞伎(桟敷)、3500文。
駕籠(日本橋から吉原)、200文。
旅籠(中級)、200文。
飛脚(書状一通)、30文。
食べ物が安いのっていいですよね〜…しみじみ。
年貢を収入としていた幕府は、飢饉を除いて、米価はかなり安定していた、米一石イコール金一両。ほぼ。
江戸時代の金一両は、現在の貨幣価値にあてはめるとどれくらいになるのか?
金貨一両を金で両替すると……一分金、四枚。二分金、二枚。二朱金、八枚。一朱金、十六枚。
銀貨六十匁は、金一両に両替される。銀六十匁は……一分銀、四枚。五匁銀十二枚。二朱銀、八枚。一朱銀、十六枚。
銅貨、銭。銭九十六枚で百文とする慣習があった(なんで?)銭緡(九六銭)が四十から六十五束で、金一両。
これらは公的な相場。
大阪や江戸では毎日相場がたてられ、その時その場所で交換されていたようです。大量の両替を必要とした武士や商人は、かなりこの金・銀・銭の両替が重要だった筈です。
(十両の大判は、贈答・鑑賞用で貨幣としては流通していなかった)
通貨は幕府が発行していたのですが、財政を改善させるために金・銀の含有量を減らしたりしてました。金属の価値に頼った貨幣から、幕府の信用を背景にした貨幣に、少しづつ移行したのも興味深いです。
じゃあ、金一両が四十万から六十五万円か?といえば、そうでもない。
じゃあ三十万くらい?そうでもない。
労働賃金。日雇い大工の一日の収入が、銀五匁四分。
野菜の振り売りの一日の収入が、1300文。
お、わからんぞ。安くないか?
米の値段や価値は、今よりもっと高かったこともあり。ますますわからなくなる。
米価から換算すると、現在価値で、金一両は五万五千五百円なのだそうだ。
三十万から五万五千五百円、の幅。
(555、ゴーゴーゴー!)
吉原揚げ代(太夫)は、一両二分。
……、うーむ。
悩むより、ぱぁっと使いたくなりますね。