広島原爆ドーム
折り鶴の塔に、書かれた言葉。
たくさんの折り鶴が飾られていた。今なお、原爆症に苦しんだり差別されたり後遺症を恐れる人たちがいる。
街は新しく、活気に満ちている。サッカースタジアムの応援の声と、店から流れるクリスマスソングが聞こえる。原爆が落とされたこの地に。
原爆資料館では、パネル展示と遺留品の展示をしている。
遺留品には、一つ一つ、名前と、当時の年齢、場所が書かれており。その翌日に死んでいる者が殆どである。たくさんの遺留品。
観光客とおぼしき人が大勢、列をなして、それらを見ていた。葬式に参列するように。皆、泣いているように見える。
その熱風で、ガラスや鉄が溶けた。その熱風によって瓦の表面にぷつぷつが生じた、と説明書きにある。そして(さわってみてください。身体に影響はありません)とある。
私の前を行く女の人が、震えるようにそっと手を出して、触れた。
私も触れた。震えるような気がした。
見終わって、外に出て。
外国人のおじさんが三脚を立てて原爆ドームの写真を撮っていた。
……もちろん記念写真として、カメラを構える人もいるだろう。
(その行為を、大勢の人が亡くなっている場所で不謹慎、と思う人もいるだろう)
そのおじさんは、一人。
サッと出して記念写真、ではなく、時間をかけて、ナニカを撮ろうとしている。…ちょっと珍しいな、と思って「どんな絵なのか」覗きみようとしたら、振り返ったおじさんと目が合ってしまった。
おじさんが撮ろうとしている「絵」は、原爆ドーム、やはり原爆ドーム、時間をかけて原爆ドームを撮ろうとしている。
お互い、ニコッと笑って、通りすぎた。邪魔をしてはいけない。
慰霊の碑に、手を合わせてお祈りした。日本人だけでなく、朝鮮の方や外国人の方も、原爆で亡くなっている。顔がたくさん浮かぶような気がした。バスの車掌さん、校長先生、おばあちゃん、子供たち、女学生、赤ん坊を抱く女の人、黒い爪の男の子、髪の毛の抜けた子供たち、兵隊さん、、。無念であったろう。
長崎の浦上天主堂を丁寧に撮った写真集をみたことがある。
被爆したマリア像。素晴らしい写真ばかりだった。
広島も長崎も、見事に復興した。
平和の中に。
平和の中に。
私たちは幸福を享受している。