雪間の草。

  日中、冷え込んだ。
  雨になったり雪になったりを繰り返した。風が強く吹いたりして、とても寒かった。

  今年の正月はあまり冷え込むこともなく、雪も少なく、大変に過ごしやすかった。けれど今夜は確実に雪となるだろう。明日の朝は積もったり凍ったりしているだろう。

  このあたりは米農家が多いので、実は雪にならないと困る。なぜなら26年産の米は、この冬の雪が少なければ山の保水力が不十分となり、水不足が起こるから。

  6月下旬から。山の上の農家が水を欲張れば、下流の平地の農家は水不足となる。そうなると電動ポンプで水を吸いあげなければ良い米はできない。手数も金もかかる。我田引水。実際に普通にあります我田引水。夏になると私の家の前の用水路に、近所の農家の人たちが入れ替わり立ちかわりやって来て、手製の木製の水門をそれぞれが調整していきます。自分の田に、ちゃんと水がいくように。誰かが水門を上げたら、後から誰かが来て水門を閉める。その繰り返し。どの田にも水があたる事が一番よいのだけど、、、、(そうもいかない)
  その我田引水具合は、新規就農者にはナカナカだと思います。駆け引き具合は微妙すぎてわからない。ここらには耕されない田がたくさんあるけれど、新規就農者はビニールハウスを建ててイチゴを作ったりしている。うーん。地元じゃない気持ちも世代が違う気持ちもわかる、我田引水、できません!……イチゴだよねそうだよ。
  (もちろん。
  TPPなんかで効率の良い農業なんかが推奨されればひとたまりもない。ここらの米は美味い。新潟のようなブランド米でもないし、実験を重ねる品種改良の米でもない。昔ながらの、じいちゃんばあちゃんがつくる棚田の米。たまにじいちゃんになついた孫が手伝うほど。先祖伝来の田を、ヒィヒィ言いながらまもっている。決して儲からない。売るに売れない田。考えてみればすごい、10年稲を作ったって、カウント経験は10回。20年で20回、50年で50回だ。やり直しの効かない自然を相手に、敬虔に経験を重ねている(洒落ではない^_^)夏の暑さ、冬の寒さ、、、すべて。それはそれは美味しいです!本当に)
  
  という訳で、まあ。
  豪雪になっても困るけれど、そこそこ降ってもらいたい。ほどほどに降ってもらいたい。
  自然の恵み

  ☆

  花をのみ待つらん人に山里の
  雪間の草の春を見せばや
                                        藤原家隆

  花ばかり待ち焦がれている人たちに、淡雪の中に芽ぶいている野の草の春を味わってもらいたい、、、、という歌。
  私なんかは(フキノトウ!)とつい思ってしまう^_^
  春の草といえば、七草なのだろうか。

  せり、なづな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草
  すずなは蕪かぶ、すずしろは大根。

  派手で妖艶な花も良いけど。草の美しさも良いよね。
  咲き誇る花びらや花粉も良いけど、固い蕾も良いよね。膨らみはじめた蕾がいい。

  

  君がため春の野にいでて若菜つむ
  わが衣手に雪は降りつつ
                                        光孝天皇

   有名な百人一首
  天皇が実際に誰かの為に早春の野原で若菜を摘んだかどうかは、、、わからないけど、その清々しさには変わりないだろう。降りつつ、の、つつ、がいい。音として。
  
  ゴージャスでなくても、
  雪の間に春を見つけるとは

  なんてささやかで
  なんて新鮮なことだろう。

  年を重ねるごとに、〈春〉は重みを増していく。
  命の象徴でもある。若さの象徴でもある。思い出のアルバムでもある。巡るたびに、春を焦がれる気持ちは強くなる。
  
  こういう地味でストレートで穏やかな早春の歌が、いいのです^_^
  だって、その気持ちが嬉しい
  
  その気持ちが嬉しいよ