無私の境地。

  職場に、どーしてもどーしてもどーしても合わないオバさんがいる。
  彼女はテレビを情報源に不確かな話をとりとめもなく喋り続ける鶏のような人だ。

  私はテレビが苦手です。新聞もインターネットもあまり信用していない。メディア全体が苦手。数字も作為的に選ぶことはできる、統計の信憑性も疑っている、世論も作れる、テレビは特に洗脳目的なのではないかと疑っている。鵜呑みにすることは恥ずかしいことだと思っている。
  ファッションも虚栄心と羞恥心で作られていると思っている。ドラマもバラエティもワイドショーも、距離があり、別世界だ。全てハリボテ、とまでは思わないけど、張り子の虎は何処かにいる。ボロ隠し、無理矢理のツギハギはあるはず。
  流行は(楽しむ)ものなのかもしれない。楽しむ余裕の無い人には焦るばかりで、辛い修行だ。オシャレという言葉自体キドリがあって恥ずかしい。きどってんじゃねーよ。
  
  ドキュメンタリーは教育的だ。
  報道は煽っている。
  ノンフィクションはフィクションだ。
  
  1時間の特集で、わかったつもりになることを怖れる。
  もっと言えば(体験学習)とか(実習)も、イイトコドリな気がして知ったかぶりを怖れる。体験を重視するのもいいけど、一週間農家に滞在して全てをわかったような顔はするな。あくまで謙虚に。
  知らないことの方が多い。それでも実体験以外の情報は嘘っぽいし、語るに値しないような気がして、しばし黙る。黙ってはいけない、と思う。けれど黙る場面は増えた。

  私は虚栄心や羞恥心や偏見や思い込みを捨てると楽しく話をすることができる。ファッションと同じ。下手さや欠点も認めて、自分らしさを持っていたら、自然で楽だ。

  話題として。テレビの話題は困る。あまりテレビを見ないのでそもそも芸能人を知らないし、芸能人の社会も知らないし、噂も信じないし、から騒ぎも盛りあがらない。自分の身近な社会で、手一杯だ。
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  (主体性)、、、って、もう要らないのだろうか?最近きかない言葉だ。
  共感、共生、協力、協調、、、は、大切だけれども。
  
  私は読書や映画鑑賞や音楽鑑賞が好きだけれど、そこから得た素晴らしい気持ちをなかなか言葉にできないで四苦八苦している。
  (いいなぁー)とぽやっと自分だけで思って完結していたけれど、それを友人と話しあえたら気持ちが強化されるようで心強い。
  その時、わかったような言葉はききたくない。
  ちょっとわからないくらいがいい。
  
  ちょっとわからないくらいの言葉を、何度か自分の中でぐるぐると巡らす。
  そうしてやっと、自分の言葉としてしっくりくる、というのが理想的^_^


  (相手を自分だと思えばいい)と言った人がいる。
  まず自分の拘りを捨てる。相手を理解できなくても、相手の立場になり相手優先で相手の望む通りにする。そうすると相手のストレスは堪らず、自然自分もストレスは堪らないという理屈らしい。そういう〈無私の境地〉は嫌われないだろうし、上手く世の中を渡っていけるだろう。自分自分をやめて、他人になって生きる。……
  ……イヤー、無理。
  鶏のようなオバさんはテレビと一心同体だけど、私はテレビの気持ちはわからない、、、、。すでに反射神経、反射運動。前につんのめったら腕を出す、とか。テレビは信じない。

  時間がかかる方法でもいい。
  答えがすぐに出なくてもいい。
  わかりにくくていい。
  わかりにくくても、自分の言葉で話す人が好きなんだ、私は。
  
  けれどまた思い直して。
  私は現実逃避で読書や映画や音楽の世界に入るけれど、鶏オバさんはそれがテレビの世界なんだな、と。
  虚構の世界で遊ぶのは一緒なのだな、と。
  現実逃避はこのように、他人からみたら馬鹿らしく、全く!理解されないのだ。
  スポーツでもなく、アニメでもなく、釣り登山などアウトドアでもなく、将棋でもなく、写真でもなく、器でもなく、芸でもなく、、、、彼女にとってはテレビが現実逃避の世界なのだ。限りなく現実的な。
  わかりやすいこと、それらしいことにアンテナがあり、飛びついて取り込み所有する。私にはゴミのように見える情報ばかり集めてストック。せめて上書き保存にしてくれ。無私の境地かもしれない。
  ゴミ屋敷をみるようだ。
  生活能力のない、生活破綻者。

  常識を集める非常識者。

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  本当の文化人、文明人は、ド田舎でもキチンと生活する人のことだ。使わないものは捨てる、道具は使いこなす。味わう。愛でる。不便を工夫し、折り合いをつける。
  便利な都会でだらしなくゴミの中で暮らす人のことではない。
  
  豊富さは選択するためにある

  便利になっても、使うのはヒト。使いこなせないものは、捨てろ