「SHOAH」第一部、第二部をみた。

   第二次世界大戦中のホロコーストの全体を関係者によるインタビューの集積によってとらえようとしている。ドキュメンタリー映画。フランス。1985年。
  クロード・ランズマン監督。
  第一部154分。第二部120分。

  素晴らしい。
  完璧。
  映像の世界遺産でしょう。
  私はたくさん映画をみてきたわけではないけど、人に薦めるならこの作品にしよう。

  観客がこれをみて、何を思うかきいてまわりたい。
  美しい静かな森、荘厳な教会、のどかな農道、ゆったりと流れる川、歌声、こどもたち、、、、
  そこでは。
  社会全体で虐殺が日常的に行われていた。悲しそうな顔の老人、それをみている人々。静かに語る人々。涙する人々。

  過去の映像や遺品などは出て来ない。証言だけだ。1985年の作品なので、当時戦後40年。1933年くらいからユダヤ人に対するボイコットは始まっている。当時50年前のことだ。
  歴史というには生々しい。告白のように、懺悔のように、自分に言い訳をする人々。
  
  監督が自らインタビューをする。隣に通訳する女性がいる。
  インタビュアーも、インタビューを受ける人も、通訳の女性も、交互にタバコを吸っていたりする。短くなるまで吸っている。そういうのも時代を感じる。フランスっぽい。
  ユダヤ人教会の前で、手紙を読みあげる監督の映像もあった。言葉と風景の、記憶をたどるドキュメンタリーだ。

  第一部冒頭、収容所の労務班の生き残りの証言で始まる。
  彼は当時13歳。足枷をしてすばしこく働いていた。同胞の死体処理が主な仕事だ。歌が上手かったので、ドイツ兵の慰みによく歌わされていた。収容所近隣のポーランド人も彼のことをよく覚えていた。
  冒頭、彼は無表情で、当時のことはよく覚えていない。言葉では言い表せない、と語っていた。
  その言葉は本当のように聞こえた。

  あるドイツ人女性は、ユダヤ人とポーランド人を混同した。少しの差異しかないような言い方だった。

  あるポーランド人は、「いいユダヤ人もいた」と語った。

  出てくるユダヤ人は「イスラエル在住」が多かった。イスラエルから離れられないのだと思う。生まれ育った土地は故郷ではない。墓も閉鎖され、再訪する意味はない。

  ポーランド人の証言は、悪酔いしそうなものもあった。
  ある種のポーランド人からすれば、ドイツ人とユダヤ人は支配する人々でしかなく。ユダヤ人は金持ちで彼等から搾取して裕福に暮らしているという認識だ。ユダヤ人女性は美人が多いので、ポーランド人男性を誘惑してしまう。表通りでユダヤ人は商売をして、ポーランド人は便所に面したの裏庭に住む。
  ユダヤ人が拉致されガストラックに収容され殺されていくのを眺め、代わりにユダヤ人の持ち物をとり、ユダヤ人の家に住むポーランド人。
  その人々の態度。
  30年という歳月、静観していた自分たちを正当化している。

  道を舐めるように撮影する。
  歩いた道。トラックが通る道。列車が通る道。ガス室までの道。
  ゆっくりと踏みしめるように、、、、

  ☆

  ナチがしたように巧妙に大規模に、民族の排斥が行われたら。
  私は隣人とどう向き合うだろうか。
  宗教の違い、民族の違いで、同じクラスの友達が拉致されていくのを傍観できるだろうか。また自分が拉致され殺されていく弱者の立場であったら、他人を信じることができるだろうか。

  隣人を愛せるだろうか。
  友達や恋人になれるだろうか。
  家族を救えるだろうか。

  一杯の水をわけあえるだろうか。

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  この作品には、死んだように生きた人ばかり出てくる。
  生きることは食べること。

  何も考えられないし、何も感じることはできない。
  
  ショッキングなエピソードや映像よりも、利己的な発言や隠れるような視線や正当化する愚かさに衝撃を受けるのである。
  
  第一部冒頭の当時13歳の少年は、第二部後半にも登場する48歳となって。
  彼の諦めたような笑顔。
  当時、歌っていた歌を歌う。
  彼の言葉で忘れられないのは、…自分は13歳だったから何もわからず、それを当たり前のことだと思っていた。生きていくためには、そうするしかなかった。働くしかなかった。いつでも空腹だった。息子は父親からパンを奪い、父親は息子からパンを奪った。
  もし生きられるとしたら、自分が望むことはただひとつ、「パンを5つ食べたい」ということだった。……
  そうして第二部は終了した。

  明日は第三部、第四部の上映がある。
  合計すると全編9時間27分だ。
  それでもこれはみておきたい。

  信じられないようなことがあったのだ。
  想定外のこと。
  想像を超えるようなことは起こる、、、生きるにしても死ぬにしても、宗教を持たないにしても持つにしても、感じておくこと考えておくことはまだあるような気がする。
  
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「愛のむきだし」をみた。

  2009年。園子温監督作品。237分。

  前回の記事で書いたように、園子温監督ってだけでなんか敬遠してしまっていた。
  「エログロ、暴力、狂気のイメージが強くてみたら疲れそう」そんな風に。

  前回の「地獄でなぜ悪い」が面白かったののでついみてしまった。

  この映画の感想。
  好きか嫌いかで言ったら好きだけど、一回みたらそれでいい。
  正直「地獄でなぜ悪い」の方が笑えた。
  もしかしてこの監督は笑いとか狙ってないのかもしれない、、、とすら思えた。前半は笑ってみてたのだけど、後半はシリアスなトーンになっていた。みながら、「あ。笑わせるつもりはないのかも」と気づき、「え。もしかして最初からシリアスだった?」と。

  前半、タイトルが出るまで30分以上(体感なのであてにはならない)かかり、ボーイ・ミーツ・ガール!タイトルがどーん!の構成なのですけど、私はこういうのはテンションが上がって大好き。わりとワクワクして鑑賞していた。
  勃起という言葉が何度も出てきて、キーワードのようになっているけど、私は女性であるのでそれがどれだけ大事なのか正直よくわからない。
  そんなに大事なことなのだろうか?

  キリスト教がわからないのと同じようにわからない。

  勃起は原罪、だけど生きる意味なんだろうなぁー。うーむ。

  満島ひかりがコリントの章を暗誦する。好きなシーン↓
  ストーリー的には、インチキ宗教にハマってしまった妹を、兄が改心させるために説得しているのですが。
  満島ひかりが迫力あり過ぎて、狂ってるように見えないのです^_^
  日本語で聴くのは音とか声で、英語字幕がつくとなんとなく簡単に理解するのにいい。
  満島ひかり、いいなぁー。

  んで。ここらへんで「うん。コメディではないんだね…」と静かに諦めた。
(…遅い?)

  うーむ。
  悪いけど、全く共感できないの。それでシリアス作品です、みたいな形にされても、薄い。
  (十代の虐待経験があるような高校生の変態的ラブストーリー)をみたいですか?知りたいですか?エンターテイメントですか?
  (純愛感動巨編)に仕上げたつもりかもしれないけど、ついていけなかった。
  共感とかできないよー、キリスト教や虐待や変態や勃起にはー。

  勃起って、つまり衝動とか、恋愛でも「恋」の方でしょ。「愛」じゃなくて。

  …と思うんだけど、多分この主役・西島隆弘にとって「勃起イコール愛」です。
  一目で恋に落ちる、のは感覚的になんとなくわかる。
  一目で愛する、のは結構難しいと思う。それは「運命」だねー。
  
  そんなに勃起するならやっちゃえば?と思う。
  コメディ(マンガ)なら、最後までドタバタしていればいい。
  シリアスならやっちゃえばいいと思う。
  高校生同士だし。その愛は思い込みなんじゃないかー、と思う。老婆心ながら^_^

  「地獄でなぜ悪い」では、(星野源が無茶苦茶な状況の中でも二階堂ふみに恋をした)のは伝わってきた。それがドタバタコメディの中でも芯になって、作品としてあったかくなる。
  ひきかえ。この「愛のむきだし」はテーマは愛なんだけど、ねぇ本当にそれって愛?本当に?となる。。。


  満島ひかり西島隆弘も良かった。
  安藤サクラも頑張ってたけど、この人がいるから長いんだな、と思う。なんなんだ。このサクラは必要ない。いいんだけど。
  
  でも全部みれた。
  みながら色々と考えた。
  「あっという間だった」とは全く思わなかったので、いいけど、良くないのかも。
  共感が全てではない、そこんとこバシッと決めて、悪ふざけするなら徹底してやってほしい。

  音楽はゆらゆら帝国。ファンであります^_^

  

「地獄でなぜ悪い」をみた。


  久しぶりに映画をみたくって選んだのがコレ。
  2013年。園子温監督作品。http://youtu.be/VvHQsCgFokQ

  園子温監督作品はみたことがなかった。理由はみたら疲れそうだったから。
  エログロ、暴力、狂気、、、なんかそんなイメージが強い。

  そして初めてみた感想。
  好きか嫌いかで言ったら、好きです。
  でも「すごく好きか」と言われたらそうでもない。何回もみたいか?と言われたらそうでもない。
  イメージ通りといえばイメージ通り。エログロ、暴力、狂気、ありありです。
  でも笑えるシーンもある。
  例えば、ぐっさぐっさと包丁をつきたてる場面や、首が飛ぶ場面なんかは明らかな人形をつかう。リアリティに迫らず、ぽーんと人形が飛んでいく様子は、どこか牧歌的だ。「映画でーす、つくりものでーす」と悪ふざけしてまーす、という心遣いだ。

  俳優さんたちもノリノリ。キメキメ。
  単純に楽しそう^_^

  堤真一、よかったなー。
  星野源って、名前が好き(←若干話がそれた)
  渡辺哲の怖さがたまらん。
  友近もハマっていた。
  二階堂ふみ、可愛かった。
  國村隼、シブい。衣装はそれでいいのかと何度も思ったけど、流石の着こなし。衣装さんナイス。

  その他、ちょい役のヤクザさんたち、全てよかった。

  最後のシーンで長谷川博己が「ひゃーはっはっはー!ひゃーはっはっはー!」と血だらけで走る。あのまま倒れて死んでしまうのかもしれないけど、とてもハッピーエンドであった。
  ジィンと感動して、切なさが残った。

  この終わり方で、私の中で監督の評価はぐんと上がった。やっぱりハッピーエンドが好きなのだ。圧倒的なハッピーエンドだった。

  エンディングの曲は星野源が歌っている↓
  自身の検査?入院の画像が間に入っていたりして、妙にこの映画の悪ふざけが愛おしくなった^_^

  私が俳優をしていたらこの映画で完全燃焼したい。やりきりたい。振り切りたい。
  人生すべて悪ふざけ^_^

「ワイルドバンチ」をみた。

  サム・ペキンパー監督、脚本。
  ウォロン・グリーン脚本。
  エドモンド・オブライエン
  1969年。ディレクターズカット版。

  アメリカ西部劇。
  うっとりです!!
  暴力的過ぎて、いろんなところから苦情が来たであろう作品ですが、私的には文句無しの二重丸作品です^_^

  どんな風に暴力的かというと、例えばリンチシーン。車で公道ひきまわし。パレードのように皆で酒を飲んで女はべらせて、子供たちはボロ雑巾のようになったひきまわしされている人に跨がって遊んだりしてます。無邪気に。
  例えば、橋をダイナマイトで爆破するのでも、馬ごとです。馬ごと爆破されて川に落ちて流されていきます。(馬、怪我しないでしょうか。心配です)
  ライフル、ピストル、マシンガン、ダイナマイト、ナイフ。
  いろんな風に人は血を流し、倒れていきます。

  暴力的ではあるけれど、猟奇的ではないのです。

  例えば、撃たれて屋上から人が落ちる。
  逆光だったり、スローモーションだったり。馬が暴れて倒れる。ドレスがめくれる。砂埃があがる。讃美歌の行進。メキシコ移民やインディアンの装束、訛、スペイン語。
  うっとりしてはいけないでしょうか?

  そして何より主人公(ならず者)がカッコイイオーラ出過ぎです。
  ならず者なのに自分の規律はしっかりとあり、ただの強盗ではありません。
  他のならず者達も、個性が強く、優しく、仲間想い。ガハハハーと皆で笑いあうシーンなんかは胸が熱くなります。
  普段はムッツリしているので尚更笑顔が印象的です。
  
  後半、死の行進と呼ばれる、ロングでただただ四人が歩くだけのシーンがあるのですけど。死を覚悟して歩くシーンですね。死を覚悟した瞬間、仲間同士が顔を見合わせて「ハハ」と笑うんですよね。
  うっとりしてはいけないでしょうか?

  最高の仲間だと思っていた男が死んでいる場所に行き着いて、ふぅ、とため息をつき、彼が腰に指していたピストルを抜き取る。
  言葉もかけず、身体も整えてやらず、形見のように抜き取ったピストルを手に、傍らに腰かける。無言。死んだ状態で再会するなんて。
  うっとりしてはいけないでしょうか?

  登場する女の人も、切ない表情したり、恋しそうにしたり、バッチリである。
  画一的ではあるけれど「いいよね、こういう風な女の人が男の人はいいんだろうけど、別にいいよね、なりたいとは思わないけどいいと思う。好きかもなー」というワイルドバンチぶり。実に、男を引きたてる女ぶりだ。
  男は女を引きたてるものであり、女は男を引きたてるものだ。
  うっとりしてはいけないでしょうか?

  ただただバイオレンスなのではなく、ハラハラドキドキが多く、エンターテイメント性も高い。あっという間に見終わり、その後の余韻も楽しみました。
  「死」を軽々しく扱ってはいけない。「暴力」に対して鈍感ではいけない。
  それはそう。

  最後の方のシーンで、生き残った仲間が、男に声をかける「一緒に行かないか?きっと面白いぜ」
  男は、ニヤリと笑い、馬に跨る。

  ここで描かれるならず者達は、「死」や「暴力」と隣合わせの生き方だけれど、「なんだか面白そうだ」という気配で、そちらの方に向かう。
  そこには仲間がいる。
  新しい仲間でもきっとガハハと笑うだろう。

  うっとりしてはいけないでしょうか?
  


  大学生の頃に初めてみて、今回は2度目。やっぱり好きな映画は好きだ。
  「ガルシアの首」にも、うっとりしたものだ^_^

  サム・ペキンパー監督、カッコよすぎ。
  西部劇はあまりみないのですが、これ以上は無いような気がします。勝手に。
 ( あ、「俺たちに明日はない」もカッコイイですよね)

  映画って、結果、自分がうっとりしたいだけなんじゃないかと思います。
  「はぁ♥︎やられたー!!」と全面降伏したいだけなんじゃないかと思います。
  負けたいんですね。
  自分には追いつけないような、圧倒的な 美学にコテンパンにやられたいのです。



祭りのあと。

  山口情報芸術センターにて。
  7月下旬。ヤン・シュヴァンクマイエル映画祭が行われた^_^
  私は長編映画『アリス』『サヴァイヴィング ライフ』、短編映画『魔法のサーカス』『自然の歴史(組曲)』『部屋』『対話の可能性』『地下室の怪』『落とし穴と振り子』『男のゲーム』『闇・光・闇』をみた。

  ☆ シュヴァンクマイエル監督は1934年チェコスロヴァキアプラハ生まれ。映像作家である。
  アニメーションも手がけるが大人向け。共産党政権下でブラックリストに載っている。シュールレアリスムの色が強く、様々な映画祭で賞をとっている。


  〈ナンセンスなハイセンス〉
  
  私はやられまくりである。
  興味が失せるとあっという間に眠れる。
  
  短編『落とし穴と振り子』と長編『アリス』の後半、あっという間に眠ってしまった。

  私は通常あんまり映画館で眠ったりしません。疲れていても、しっかり鑑賞できるタチです。
  それはプラネタリウムで眠るようなもので。
  計らずも眠ってしまう、不可避の絶対的な、贅沢な眠りなのであります。
  つまりとてもロマンチックな昼寝であり、抗えない誘惑であり、少しの罪悪感と優越感に彩られた本能の選択。

  ナンセンスすぎて落ちてる。
  とても耐えられなかった^_^

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  グロテスクで残酷なアニメーション。
  子供が虫を解体してバラバラにするような。
  意味もなく、バラバラにするでしょう。
  ただなんとなくとか、ただ手応えが面白かったとか。虫が可哀想とか、虫が死んでしまう、というのは無い。虫が動かなくなった、虫が小さくなった、というだけ。
  そういう〈ナンセンス〉の集大です。

  ナンセンスは集めると科学反応する。
  良いナンセンスと悪いナンセンスが出てくる。つまり好み。好ましいナンセンスとは後味の良いナンセンス、昇華系ナンセンス。
  軽めで奇抜でシンプルなものがカッコイイのです。印象に残ります。
  シュールさは切れ味が勝負。
  どれだけ鮮やかにナンセンスを極めるか…、それが彼の命題なのではないか、と勝手に思っております。

  深い眠りから覚めたように。
  長い夢から覚めたように。
  映画館から出て、現実世界に戻っていくのでありました^_^

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  (モンティ・パイソンが好きな人は、シュヴァンクマイエル監督は好みだと思うなぁー…)

「夢売るふたり」をみた。

  阿部サダヲ
  松たか子、主演。
  西川美和監督。2012年。

  その他、安藤玉恵田中麗奈木村多江鈴木砂羽、など。

  あらすじ。夫婦で営む小料理屋が火事で焼失。新しく店を持つために結婚詐欺をする話。

  板前の阿部サダヲは人が良く、騙していながらも嘘をつくことに傷ついていく。
  松たか子の方は、旦那の阿部サダヲを徹底的にコントロールし手際よく女を騙し金を巻き上げていく。

  女心が凄い。
  詐欺を始めたきっかけは、阿部サダヲの朝帰りで浮気を嗅ぎつけ問い詰めたところからだ。
  酒に逃げて仕事もできない状態の阿部サダヲ。「そのままの貴方でいいのよ」と優しく諭す松たか子が怖い怖い。
  終始、松たか子が怖い。
  なんで怖いかっていうと、やっぱり阿部サダヲのことが好きだからなんじゃないかなー、と思う。相手の女性をリサーチしたり指示を出したりするけれど、阿部サダヲの「また店を持ちたい」という夢を叶えるために自分を殺しているのではないかと思う。他の女にすり寄っていく自分の旦那を冷静に観察している。
  阿部サダヲの濡れ場は多いのだけど、松たか子とは一度もない。松たか子の自慰のシーン、生理で下着を履き替えるシーンなんかはある。この夫婦、セックスレス、もしくは体質的に子供を持てないのではないかと思う。セックスレスでも円満な仲良し夫婦だったのに、、、。

  松たか子の中で「たかがお金」「たかが身体の関係」と罪悪感を間引きしていったのかもしれない。「たかが私」自分さえも捨てて、愛する男の夢のためにがんばっているように見えた。

  阿部サダヲは上手に女を騙す。嘘は全てが嘘ではなく、本当の気持ちも何割か入り混んでいるのだ。
  ウェイトリフティング競技の選手の女性を騙す時、松たか子が「あの子を相手にする貴方があんまり気の毒で可哀想」とこぼしたら「そんな風にうつるお前の世界の方がよっぽど可哀想だ」と本気で言い返していた。騙す相手であっても、心を開いて本当に何割か好きになっている。

  物語の後半、阿部サダヲの心は離れてしまう。
  嘘をつくのが嫌になったのかもしれない。松たか子が嫌になったのかもしれない。相手の女性が魅力的で何割どころではなく十割好きになってしまったのかもしれない。
  板前の包丁は置き去りにされていた。

  夢を捨てた男をみて、女は何を思ったか。

  終始、松たか子の視線が怖い。
  
  鈴木砂羽は男と別れ、颯爽と歩いていた。松たか子は惨めな様子でそれを眺めていた。

  男のために健気につくす安藤玉恵もすごく可愛かった。


  ……「たかが私」と自分を捨ててしまった松たか子が、自分自身でやりたいこと、自分の夢を持てるといいなぁと思った。

  エンドの先にある登場人物の生活を想えるので、この映画は作品として成功している。ハッピーエンドもアンハッピーエンドも、誰かが決めるものではなく、誰かを納得させるものではなく、自分自身のためにある。
  
  


  

「神々のたそがれ」をみた。

アレクセイ・ゲルマン監督。
2013年。モノクロ。177分。

アレクセイ・ゲルマンに比べればタランティーノはただのディズニー映画だ            ウンベルト・エーコ

  制作期間は15年。

  「空前絶後。二十一世紀最高傑作」と銘打たれております…

  

  ひぇー。

  予告みたらこんな調子で3時間もキツイ。。。   http://youtu.be/O4hMiRn32ww


  すごく臭そう、、、

  食べ物まずそう、、、

  日常的に皆テバナするし、皆タンを吐く。泥々の中を歩き回って、風呂入る場合じゃない。公衆便所もひどい。歯がない人、多数。目が潰れている人も。雑で乱暴。犬(狼?)とかすごい吊るされていたけど本物っぽくて怖い。

  もちろん人も吊るされてます。賢人は吊るされて魚の鱗を繰り返しかけられる、鳥に目をつつかせるのですって。イヤー!!

  逆さで便所に突っ込まれたりもする。イヤー!!

  腸とかズルズル出てきますー。もうヤメテー!!

  死体は埋めてくださいー…


  …よく見てたつもりだけど、どういう話の流れだったのかイマイチわからなかった、、、

  それにしてももっと綺麗な処ないのか?

  怠惰なだけなんじゃないか?というか麻痺しちゃって知性とか翔んじゃうのか、暗いし、、、、

  あらすじ。権力者が「賢人狩」をする。神様として特別扱いを受けている主人公が「神様はつらい」とつぶやく。みたいな。

  詩人とか芸人も殺されちゃう。娼婦も。

  

  こういう戦場みたいなところって生存本能みたいなものが働いて、女性がぽろぽろ子供産んで育ててそうだけど、そんな事になってない。

  むさい男ばっかり。イッチャッテル人ばっかりなのです。

  女の人は1/30くらいではないか?おばさんも含め。

  すごい世界だ、、、夢も希望もない。とにかく臭そう。


  出てくる子供も、とんでもなく可愛くない。どこから探してくるのかなぁ、俳優さん達。

 (なんとなくいい感じ)とか(日常の中のちょっとした冒険)とか(テーマ・恋愛)とか、そういう映画ばかりみていた私ですが、、、ガツンとやられましたね^_^

  皆が目を背けるような汚ないものがたくさん出てくるこの作品ですが、冒頭とラストは綺麗なんですよー

  雪です。

  ロシアの荒涼とした大地に雪が降る。

  それで神様が笛を吹いてるんです。  

  この広大さ。この空虚さ。雪。

  ロシア映画、すごいなーと思います。

  またモノクロだからいいのです。血は黒くても血らしいし。赤色とか茶色とかでこの作品はみたくない!

  げっそりと疲れるけれど、映画ファンならみなきゃいけない気になります。これからみる人、がんばれー、キツイよ。

  

  ☆

  山口市YCAMシネマのスタンプカードが溜まったので、YCAMグッズを頂きました。悩んだ挙句、手ぬぐい^_^

  ありがとうYCAM。ファンでーす^_^

  来たる7月。シュヴァンクマイエル映画祭りやるそうです。やるなぁ!

  お客さん集まるのかなぁ!?私は行くとも!

  さぁー、がんばって働こうー!