昼間から自宅でハルキを読みながら、たらこスパゲッティとパリパリのキュウリとビールのある幸福。

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  近所の山へ、ふらりと登る。

 

  木曜の夜に人と話した時、ズバリと言い過ぎてしまったかな、と反省している。

  相手を傷つけずに自分が思う正直な気持ちを伝えるのが難しい。しかも相手は年上の男性であった。年下の女性からズバズバと言われたら、わりとショックなのではないか自分の過去を否定されたように感じて。

  

  その人は多分、なんでも話せる友人もおらず長くつきあった女性もいないのではないかと思う。

  職場や近所付き合いでは、プライベートな話は普通しないし。ちょっと「?」と思っても、まぁいいかと余計な事は言わない。

  

  その人は私に「結婚を前提につきあってください」と言った。

  私は驚いた。そんなつもりでその人と接していなかったから。

  誘われて出かけたことはあったけど、話が弾まない。話を振っても膨らませないし、私はとりあえず話はするけど聞いてて面白がってくれているのかいまいちわからない。

  彼は自分をあまり出さないようにありきたりな受け答えをする。それは否定されたくないという逃げの姿勢なんだよね。何を話してもそういう反応だと、嫌われはしないけど、だんだん面倒になる。第一印象から進まないから、嫌われはしないけど、近づくどころか遠くなる。そういう人なんだ、と私の印象は確実に固まっていき「いつまでたってもよくわからない人、いつまでも敬語で距離がある人」となる。

  

  「そういう風に考えてなかったのですぐ答えられません。時間をください」と言ったら、「それとはまた別の話なんですけど、9月に島根の方へ泊まりで行くんですけど、一緒に行きませんか?」と言われた。私はさらに驚いて「行きません」と即答した。

  なんで行くと思うのだろう?

  

  きいてみた。

  「親が早く結婚しろというから、結婚したいって言ってるだけではないですか?本当に結婚したいですか?結婚して何をしたいですか?」

  「私と結婚するイメージは湧きますか?私のことどれだけ知ってますか?」

  「私が身近にいたから私に言ってるだけでしょう。結婚してくれるなら誰でもいいのでしょう」

  彼は、うんうんと唸って言い返せなかった。けれど答えて貰わねば、私だって次に進めない。

  うんうんと唸って、私と遊びに行きたいと言った。…それって結婚しなくてもできるよね。。。

  

  私は一度離婚しているので、もう失敗したくない。この年で付き合うなら、やはり結婚とか想定したい。

  親が言うから結婚を考えるにしても、例えば仕事は〇〇に勤めていて、家はこういうところを考えていて、子供は〇〇で、借金は無い、健康状態など具体的に話してくれるならまだしも。私の事を何かわかっているつもりだとしても、君のこういうところを気に入っていて上手く付き合っていけると言うならまだしも。最低でも「好きだから結婚してほしい」でいいじゃないか?

  あまりにも「子供の使い」で頼りなさすぎる。

 

  うーん。口説くならちゃんと口説けよ。

  可哀想だけど、人とつきあうってそういうことなんだよ。

  傷つくのを怖れたら何にもできない。

  今まで傷つくほどの人間関係を築いたことがなかったのだろうな。

  好きなら好きって言わないとダメなんだよ。

 

  なんかカウンセラーしてるみたいになってしまった。

  1. まず人の話をよく聞くこと
  2. 自分についてよく知ること
  3. 相手の話を聞く時にちゃんと自分の話もすること
  4. 他人に興味を持つこと

  「どうすればいいですか?」ときかれたので↑こう答えた。慣れたらそんなに難しいことではないですよと助言した。

  

  今まで傷つかずに生きてきた彼は、ここに来てズタボロだ。だけど私だって曖昧に返事するのは良くないと思ったのだ。これは誠意だ。だってほとんどプロポーズだもんね。

  うーん。

  ちゃんと理解できたかが不安である。

  うーん。

 

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  近所の祭り。ビールの売り子をしました^_^

  ちょっとだけ知り合いの人と笑顔で話す。

  楽しかった^_^風が気持ちよかった。

 

  ゴロンとなって村上春樹ねじまき鳥クロニクル」なんで今までコレに手を出さなかったのだろう。面白い。現在、第3部。クミコー!

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『漂うままに島に着き』読了

  内澤旬子朝日新聞出版、2016。

  ふーむ。

 

  「この本を手に取る人って、どんな人なんだろう」というのが素直な感想。。。

  やっぱり女性だろうな、、、

  そして単身者だろうな、、、

  移住とか暮らしとか興味ある人かな、、、

  多少は内澤旬子さんのファンかな?

 

  私自身は内澤旬子さんの「文章」のファンである^_^

  書き方が率直で。自分の気持ちに忠実で。

  表し難い感情の部分を、書き表わそうとして真っ向から挑戦しているのがわかるので、素っ気ない結論だったり言葉だったりするのが沁みる。うーむ、カッコイイ。かっこ悪いところがカッコイイ。いや、なかなか出来ない、このバランス。

  「自分とはなんぞや?」「本当の気持ち?」「なんで?」

  冷静に客観視しつつ、そして熱く。

  読みながら詳細で具体的な言葉で想像し、他人事のはずなのに、いつしか自分の問題ともシンクロするようで、曖昧だった自分が恥ずかしく、そして読み切ってしまう。

  

  そのうえ「なんとなく」判断を下していくのにも、「なんとなく」共感してしまう。

  できないと思ったらそりゃできないし。とにかくやったらできるもんだ。やったらやれた、それだけ。正に、身体のいいなり。意識するよりも速く身体は答えを持っている。「なんとなく」

 

  最高に沁みたのが「小豆島の生活が、退屈になるその時が、おそらくここに根付く時なのかと思う。それがいつになるかは、わからない。今はまだ、本当に何もかもが面白くて仕方ないのだから」

  これほど分かりやすい言葉があるだろうか。この本は、東京から脱出し、自分なりの仕事の仕方&自分なりの身体のメンテナンスの有り様を記しているドキュメントエッセイなのだが、その端々に愛がある。自分にとってのジャストフィット。納得できて無理のないもの。自分のサイズを真剣に模索していて、その自分を退屈と思うならその時は、その場所が窮屈になっているのだろう。

  つまり根付くことはないのだろうと思う。

  根付いた瞬間に東京の時と同じように脱出したくなるのでしょう。

  作中に出てきた「漂うように暮らす女性たち」…世相のようにも見えるし、自分のようにも見える。危機感もなく女ひとりふらふらと。「自分探し」というよりむしろ「なりたい自分になるために」何か行動している最中なのです。

  スローライフなんて言うけど、現金収入と暮らしに費やせる時間と、厳密に関係していて全くスローではない。手間暇かけて納得のいく自給自足の生活は楽しいかもしれないけど、シビアでハードだ。よく働く奴隷のような同居人がいたら楽しいかもしれないけど。絶対大変なんだって。

 

  暮らしとか。大切にしないとな、、、

  今の私は、仕事や趣味を優先して置いてきている。

  …海や空を眺めたり、美味しく食事したり、誰かと笑いあったり、計画をたてて夢を持ったり、そんな事。もっと毎日の隙間の時間に充足することも大切にしないとなと思うのでした。

 

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内澤旬子、オシ^_^

  いつ頃からフォローし始めたかは、記憶にない。

  (女性が単身で島に移住してヤギを飼っている、旅する人でエンタメ系ドキュメンタリー、小豆島)という認識だった。

 彼女と小豆島の地元有志で獣肉の加工場をつくるクラウドファウンディングに寄付したりした。しかし腰を据えて著作を読んだことはなかったのだ(『世界屠畜紀行』を流し読みしただけでした)

 

  このたび自分の胸にしこりがあるのを発見して、非常に慌てた。乳がんかも!と疑った途端にズシリときた。死ぬのはまぁ仕方ないにしても、苦しむのが嫌だ。あと10日です、と言われるならまだいい。3年も5年も闘病するとなったら嫌だ。治るならまだ頑張れるけど、治るかどうか五分五分みたいなのも嫌だ、諦めがつかない。乳がんかぁ、、、、とため息をついたのであります。

  検査の結果、がんではなかった。

  それはまぁ良かった。

  乳がんについて考えるキッカケを頂きましたから。ピンクリボン、、、ふーん…、という自分が少し前のめりになった。検査の結果、悪性の人もいるわけだから、自分の結果に喜ぶのも控えるけど。気持ちに寄り添うことができたらなぁと素直に思える。

  

  実は内澤旬子さんも乳がんであった。

  4度の手術、治療の副作用、シリコン。それでも働きながら自立して、すごくかっこいい。

  「美しく死ぬ闘病記ではなくて、逞しく生きていくがん患者のリアルを知りたい」という私の欲求に完全にマッチした。ものすごい親近感。闘病記として手に取ったのは間違いなかった『身体のいいなり』は、それ以上のものだった。もっと上から目線だった。「たかが乳がん」そう言い切る。、、、、…そ、そうかー。どうせ死ぬもんね、深刻になったり治りたがったり感動したがったり闘病日記を読みたがったり、してる方がアレですよねー^_^はは。

  「たかが乳がん」…それはそれで興味あるぞ。一気に読んでしまいました。乳がん以外のことがたくさん書かれていて、で、それはそれで思わず納得、生きていくことを考えるのでした。急がば回れ、結局自分なのだと。

 

  それはそれとして。『世界屠畜紀行』の副産物のように思っていた『飼い喰い  三匹の豚とわたし』岩波書店、2012年。続けて読みました。

  泣いてしまった。号泣です。泣かせるなんて思わなかったのに。。。

  文字通り、内澤さん自身が豚を飼って出荷して食べるというドキュメント。養豚業の方は「犬を飼うようなもの」というし、内澤さんはあえて3匹に名前を付けて可愛がり、個性の違い等を記している。今では庭でヤギや羊や鶏を飼わない。家畜を食べるために殺すことってなくなった。家畜は家畜、ペットはペット。そういう禁忌にも迫ります。

  本当に先入観なく体当たりするので、読めてしまう。結局、こういう気持ちは一人一人のものなので結論めいて書かれていないけど、考えさせる想像させるだけで十分なのではないか。

  世界屠畜紀行の方で、何故日本は屠畜業者は差別されているのか?みたいなテーマがあったけれど、ヒトは生きる為に家畜を飼い食べることについて正しく罪悪感を持つ為には?というテーマがあったように思う。

   内澤さん自身の気持ちの揺れも十分書かれているし、結論めいて書かれても「おっとぉー」と思うと思う。

  可愛がった動物を殺して食べる。自分が生きるためだとはいえ、ひくと思う。そこをあえて「美味しく食べてあげよう」というスイッチは何処にあるのだろう

 

  これも内澤マジックで、結局、テーマを読むつもりが内澤さんに共感しすぎて内澤さん自身を読んでしまったのかなぁ…、と。

 

  しかしやっぱり時間が経つと。それなりにテーマが立ってくる。

  内澤さんは自分の言葉で自分の経験を語った。それは痛みを伴い、感謝や尊敬も込められている。サバサバと、生きているように見えるかもしれない。

  好奇心で。好奇心のままに。

 

  言えない言葉を、言えない気持ちを表したいとしているのではないか。

 

  ありきたりに完結させるような人ではない。

  自分の言葉を、自分の気持ちを真っ直ぐに表したい、といのが伝わってきて、そういうのがあまりにも不器用で同情する。

  ……テキトーに、できないん、だろう、なー

  

  その不器用さ故、読まずにはおれないんだと思います。

  真っ直ぐに屈折して^_^

 

  

   

高野文子、思い出読書。

 高野文子さんは漫画家だと思います^_^

 

  ジャンルとしての、漫画家。

  うーむ。

  いいねぇと何回か読み、隅々まで「読み切ったー」と思っても、全然全く読めてない可能性がある、かもしれない。可愛いくてオシャレなのでウワスベルのも楽しい。

  わかってないけど感覚としてわかっていたらオーケーみたいなところもある。

 

  何冊か熟読している。

  『るきさん筑摩書房、1993年。おきゃんで可愛いるきさんの日常^_^アラサー(アラフォーもしくはアラフィフつまり年齢不詳)的アイドル性アリ。

 

  『黄色い本  ジャック・チボーという名の友人』講談社、2002年。青春だー、チクチクと切ない厨二病

 

  『棒がいっぽん』マガジンハウス、1995年。だからどーしたの不条理の連続。不条理バンザイ。

 

  なんて可愛いのでしょう

  ヒロインが皆可愛いのですよねー

  女子必読だと思います。

 

  つい憧れちゃう。つい頷いちゃう。親近感もそこはかとなくあってノスタルジー満載。

  それでいて未来的な軽さもある。

  うん。軽いのがよろしい。

 

  何回でも読めちゃうし。漫画として消費するには勿体無い読後感。ハードカバー装丁で本棚にキリッと収納して、何遍も読んだり他人に貸したりしたいです。

  友人なら貸したままあげてしまってもいい。

  だから古本屋で見つけては補充するのもいい。

  高野文子さん、よろしいなぁ

  紅ショウガとかナスの漬物みると思い出してしまう、

  スッパイ感じかしら^_^オススメです

 

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「ダルイというピュアな気持ちを優先した」

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  日曜日。沢歩きしてきましたー

  暑かったから。

  

  曇り空でしたけど、水もぬるく、虫もおらず、超快適な沢歩きでした^_^

 

  水の音に癒され、緑の色に癒され、マイナスイオン浴びまくりで。贅沢な初夏の遊びでした。

 

  もうー。急に暑いです。ジメジメだし。

  土曜日は半日出勤だし。

  ビール飲んで録画の「探偵物語」を二本みて昼寝して、廃人のようになっていたのでした。「くどーちゃん」は相変わらずクールでかっこいいんだけど、私の寝起き最悪。暑い、ダルイ、眠い。

  昼寝の読書の友は、宮田珠己さんの「東南アジア4次元日記」

  ダラダラ感に同調してもう起き上がれない。再起不能。読者を舐めきったふざけた文体が癖になり辞められない。目の付けどころもシュールすぎる。だめだ。こんな暑い日はビール飲んで昼寝だ。

 

  そう。土曜日に昼寝したのでその夜は眠れなくなって、寝不足なまま日曜日の沢歩きなのです。

  ざぶざぶと歩いてほどよく運動して、ふやけて。

  学校のプールの後のように気怠く疲れて。

  帰って、遅い昼食のソーメンを食べてまたビール飲んで昼寝しちゃいました。ソーメン美味いなぁー

 

  だってそうでしょう?

  暑いんだもの。

 

  しっかりと昼寝した後、洗濯したり庭の草ひきしたりしました。夕方。

  またビール飲みたくなったので、飲みました。

  だって日曜日だし^_^

 

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読書の楽しみ。

  電子書籍が増えるこの頃、紙ベースの読書の楽しみをまとめてみました^_^

  本と私の幸福な時間リスト

 

  • お気に入りの喫茶店でお気に入りのミステリを読む時
  • 電車の中で思いがけず感動して泣く時
  • 電車の中で笑いをこらえて挙動不審になる時
  • 花や菓子や茶などを買い(読書のためのセッティング)、部屋に帰る時
  • 本屋で「カバーおかけしますか?」ときかれ、「いりません」と答える時
  • 思い入れのある本屋で時間をかけて文庫を選びカバーをかけてもらう時
  • 好きな人が本を持ち歩いていて、それが何の本かわかった時
  • 素敵な人が自分が読んだことある本(読もうと思って買ってある本)を読んでいた時
  • 古本屋でひと昔前の本の時間にひたる時
  • 古本屋で思いがけず掘り出し物を見つけて喜ぶ時
  • 図書館で何を借りるか選ぶ時
  • 風呂でダラダラと読める時
  • 図書カードを「要らないから」とタダでもらう時
  • ビレバンに久しぶりに入る時
  • 夜中にやめられず夢中で読む時
  • 読みながら寝ている時
  • 好きな本を、途中で「まだこれだけページがある」と確認する時
  • ミステリのはずなのに謎が解明された後にまだページがある時
  • シリーズモノの新刊を待つ時
  • 再び読みかえそうとして良かったことは覚えているのに内容を覚えていない時
  • 帯に気に入りの人がコメントを寄せているのをみた時
  • 本屋(図書館)の人が良い雰囲気だった時
  • やらなければならないことを全て終えて、ヨシこれからダラダラ読むぞ!と本に向かう時
  • 風邪をひいて、(もぅだめだ、本読むしかできない)と寝ている時。

 

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「夕凪の街 桜の国」を読んだ。

  2004年に第1版発行。「この世界の片隅に」のこうの文代さんの漫画です。TSUTAYAに平積みしてあったので思わず買ってしまいました。

  う、薄い。

  だ。だけどですね。

  個人比ですけど。これは号泣です。

  いや、泣きたい人に手にしてほしい訳ではなくて。むしろ。泣き活「泣ける感動作!!」とか苦手な人がボロッと泣いてしまう作品だと思うのです。

  が・つーーん……、ですよ。

 

  東日本の震災の時に、関東大震災の直後のようだと言った人がいた。辛かった経験も分かち合う事によって乗り越えたような気がしている。

  ヒロシマナガサキのようではない。それは時限爆弾のように。皆が見ないようにして、忘れたように知らないフリをして、過ぎるのを待っている。分かち合わずに。

  このままでいいのだろうか。

  しかし人の恥部に触れるような後ろめたさがある。同じ立場ならまだしも。共通点があるならまだしも。同情できる何かがなければ。

 

  しかし同情できるわけない。そこに居なかったから。

  そこに居た人は「死ねばいい」と思われた人。そして知り合いは多く死んでしまった。死体をたくさん跨いで生き残って来た人たちなのだ。罪悪感と後悔で、未来なんてない。結婚せず、子孫を残したくない人たちなのだ。原爆にあったばっかりに。

 

  隣の人を「死ねばいい」と思うだろうか。

  

  漫画で35ページです。

  こんなに短い作品で、見て見ぬフリしていたヒロシマを見せられた。。。終わらせてはいけない。

  ヒロシマは終わった過去の話ではない。

  争いが起これば必ず勝ち負けで収束する。誰かが負ける。今の日本は平和にボケていて、戦争の痛みを実感できない。死んだら痛いんだぞ。苦しいんだぞ。争わない道を探すべきでしょう。

  火事や地震では助けあい、生きることに前向きな日本人だけど、

  世界の中で、被爆国として、もっと平和を訴えてもいいと思う。

  

  私がヒロシマを後回しにして見ないようにしていたのは、ツライから。私と同じような人が何の理由もなく殺されたから。

  「私でなくて良かった」「少し違っていたら私も同じような目にあっていた」「10分違っていたら」みたいな事はよくある。

  私はやはり知らなければいけないと思う。

  そしてこういう本は皆に広がっていかなければいけないと思う。

 

  「桜の国」も「夕凪の街」から繋がっています。

 

  イラストも綺麗。素敵な色合いです^_^

  (漫画は「描く」ものだけど「読む」ものですよね。しかしこの作品の余韻はスゴイ。言語化できないフワフワを絵にしています^_^)