営業一年生、柴田君の話。
昨年度大卒新入職員の柴田君は、それなりの成績をおさめ表彰までされた^_^
今年は昨年の自分同様大卒新入職員の教育を任されている。
はじめは戸惑いもあったのかもしれないけれど、一週間位たったらまるで友達のように打ち解けていた。
男の子同士はさっぱりしていていいなぁー
柴田君はサッカーが好きで、仲間同士で夜中にフットサルをやるようだ。
今年新卒の羽野君(仮名)は、野球の部活動をずっとやっており、3番の外野手だったそうだ。イチロー的なポジションだと自分で説明してくれる。
お昼は2人とも呆れるほどモリモリ食べる(なのに羨ましいほどスラリとしている)
暑い中、2人とも元気にカブ走らせて営業に出ている。
羽野君は明るくて調子が良いけれど、おバカである。
去年の柴田君もおバカさんだった。去年の柴田君と比べると、羽野君の方がより礼儀正しいし常識的かもしれない。
しかし。羽野君のおバカは多分、時間がかかる絶望的なおバカだ、、、
つまり柴田君の方が不器用でちょっとハズレているけど、救いのあるおバカなのだ。
羽野君のおバカさは、憐れになる。可哀想になる。
柴田君は、屁理屈をこねる。
技術的に(できる)事でも道義的に(いけない)と教えたら、(わかる)。できるからといって何でも全てやっていい訳ではないと、わかる。やってはいけない事もある。
〈一般〉の手続きや法令や問い合わせ事例から、〈個別〉の場合に照らし合わせて、判断できる。
勉強ができる(テストで良い点がとれる)とか、抽象的な思考ができるとか、相手にわかるように説明できるとか、そういうタイプのデキる人ではない。
だけど、相手の立場に立って考える優しさがあって、契約を取れなかった時はちゃんと悔しがれて、恥ずかしい事をちゃんと(恥ずかしい)と思えるのだと思う。
だから柴田君のおバカさは、良いのだ。
そのケースを乗り越える度に、自分なりに学びとるから。屁理屈をこねながら理解していく。下手に納得せずに、原則と例外の間を行ったり来たりして、理解していく。
はじめは怒られて追い込まれてやっていたけど、やるごとに自分のやり方を見つけていったようで、伸びた。比例するように伸びていった。
そして私が感心するのは、去年自分がされたようには教育していないこと(去年の柴田君は全否定されて、先輩職員の模倣から始めた)威張らないこと。決して強要しない。自分を一例として差し出すけれど、羽野君を尊重している。
…ナイーブは、ナイーブである。
私と柴田君は、歳の離れた従兄弟同士みたいなもので、いつも其処にいるけど、サッカーしたりゴハン食べに行ったりはしない。お母さんのように面倒みたりもしない。
大変なんだろうな、混乱しているのかもな、と思っても、何と声をかけて良いかわからない。
私生活の内情をきくと、尚更。
(母子家庭で一人っ子、お婆ちゃんに育ててもらった、お爺ちゃん鬱で治療中。お婆ちゃん肺炎で急遽入院。食べれない状態で点滴治療となったので、お爺ちゃんの入院できる施設を探している)
傷ついたら泣く?
泣くのは甘ったれ?
私は思うのだけど、泣こうと思って泣くものじゃなくて、涙って自然に出るものなのです。
涙が一度溢れたらもう止まらなくて、ぼろぼろぼろぼろ出てきてしまう。止まらないから出るまで全部出す(その方が前向き)進みながら泣いたっていいし、立ち止まって泣いてもいいと私は思っている。
おバカな後輩に「俺だったらこうする」と真剣に話している柴田君、いいと思います
多分羽野君にも良い所があるから。
それを最初に見つけて引き出すのが柴田君なんじゃないかなぁ